草虫こよみ xusa musi coyomi

:::::::::::::::くさ むし そら うみ つち ひかり

感情労働は素直にできたらいいね

草暦、みなさんのお手元にとどき、新年からはめくっていただくのですが、
もしかすると二枚ある月もあるかもしれません。これは外して何かに使ってください。
でもめったにないはずですが、落丁もあるかもしれませんのでそのときはご一報ください。
紙の厚さが微妙に違ううえ、古い機械で丁合をしてもらっているので、そういうことがあるのです。

わたしたちがお願いしている印刷屋さんは、和紙屋さんでもあって、職人気質というのか、
ぜんぜんぺこぺこしていなくて、
ときにどなられることもあります。
ご担当の方はわたしよりずっとずっと年配でもあるので、いっていることが通じているのかどうかわからないこともあるのですが、
でも販売が順調だというと、喜んでくれるし、紙の話になると、熱いのです。
だから来年も続けさせていただきたいなあと願っています。

そんな印刷屋さんとの、お客が怒られるというやりとりは、考えてみれば、いいものです。

このごろでは、肉体労働と頭脳労働だけでなく、感情労働なるものがあるのだと心理学関係の人から聞きました。
たいへんな重労働で、心身にあたえる歪みは大きなものだそう。
たしかに、どんな無茶な顧客のクレームにもひたすら低姿勢で応えるという態度がある。

でも、まだ新米というかへたくそだとマニュアル通りの慇懃無礼で、気持ち悪いなあとも思う。

いずれにしても、仕事が終わってから、それぞれの性格にあった解消法でうさをはらしているんだろうな。

それにくらべると、印刷屋さんは素直で気持ちいい。

健全なサービス業、人とのやりとりができるようになりたいです。
多少の本音、悪意のない素直さ、があったほうが気持ちいいんだけどな。
慇懃無礼していると、へんに傷つけることもあるのではないかしらね。

というわけで、わりかし本音でやりとりしてできている草暦でした!
いろいろあるけど、ま、人間世界のやりとりは大自然からしたら、問題外の外。

2017年、大きな宇宙、ミクロの深さに導かれて、すすみましょう。

musi
  1. 2016/12/28(水) 21:27:00|
  2. からだとこころ

お花屋さんの素顔

「ぼく5さい」という男の子とお花屋さんにいった。
「100円と50円」をにぎりしめて。
ピーマンを枯らした経験があるらしく、枯れないものがいいという。
わたしは「ミニトマトなんかどお、あんまりお水やりしなくていいよ」といったけど、ピーマンと似た印象があるらしく、首を振る。
そこで「お母さんにお花にプレゼントしようか」といったら乗り気になる彼。
150円で買える花をさがしてやりとりをしていたら、後ろから、「このお花もいいよ」とやさしい声。
ふりかえると笑顔の店長さん。
じつはこのお花屋さん、ときどき欲しいなというものがあって、その花のことをたずねると、お店の人はたいてい不確かな返事で、そしてしばしば厳しくスタッフを叱咤している店長さんをみかけていた。
その店長さんはいつもいそがしそうだしこわそうなので、私は話しかけたことなかったのだけど、今日、彼女の素顔にあえたのだ。
きいちくんがいっしょにいってくれたから、あえた。

店長さんはやさしいから厳しいんだな。
今日はもういちどわたしもひとりでそのお花屋さんにいこうかな、と目が覚めていちばんに思った。

musi
  1. 2016/04/25(月) 07:22:08|
  2. からだとこころ

のろのろ歩ける人 

musiの父の幼なじみに、西陣で杼(織物の道具)をつくる方がいて、日本ではもうほとんどその方だけなんでしょう、82歳で現役の職人さんです。

先日、着物を織る作家さんが、ぜひ長谷川さんに杼をお願いしたいというので、わたしははじめて父の友人に電話したのです。こてこての西陣の京都弁で話されるからやわらかなんですが、あまりの腰の低さにびっくり。親友の娘ということはあるけど、でも「なんでもいうておくれやす、手ぇになじむもんをつくらせてもらいますよって」とおっしゃるのです。
いちおうパンフレットもあり、そこから選ぶこともできるのですが、そうでなくてもいいし、使っていって不具合があれば、馴染むまで「なんぼでも調整させてもらいますさかい」というのです。

腰が低いのだけど、これは自信です。確固たる自信がなければ、なんでもつくる、とはいえないですから。

年をとって、体はきつくなるけど、芸は円熟していく。
世阿弥が書いたとされる花伝書そのもの。

そのことを母につたえると、10年ほどまえに父たちの友達グループで旅行をしたとき、いちばん足がのろのろで腰をまげて歩いていたのが長谷川さん。みんなで長谷川さんののろのろ歩きを待っていたくらいだそう。
その友達の中で今はいちばん元気なのが長谷川さんです。
そのグループには、西陣の帯や着物問屋のぼん的人たちもいて、その奥さんたちも我が世の春のような勢いでいらしたけど、みんな没落したそう。
もちろん亡くなった方は半分以上。

こつこつこつこつやってきた長谷川さんは、一生をかけて、ゆっくり歩く練習をしていたのかなあと思います。
そして今の境地にいらっしゃる。

せっかちのmusiもゆっくり歩けるようになろう。
それが2016年の、カメ年でもウサギ年でもない、さる年の歩き方。
人が二本足でたったときの感慨を。

musi
  1. 2015/12/28(月) 20:30:14|
  2. からだとこころ

老いぼれの独りごと

先日、母から、父がとっていた最後の新聞をやめた、という知らせがあった。
新聞なんて読まなくても、文字を書きもせず読みもせずともたくましく賢く生きているインドの人を知っているから、新聞をやめたことくらいたいしたことではない、人間としてべつに大した問題ではなく、むしろ新聞なんて読むよりもっと大切なことがあるんでないの、と思っていたつもりだったけど。。。

生まれてからひとつひとつできるようになったことが、できなくなっていく。
二歳児の爆発期の逆現象がおきて、二歳児は伸びゆくのに、老年の死から二年前は爆発的にしまわれていくのかも。
老い方のバリエーションはあまりにひろいから本を読んでもわからないのかもしれないけど、それでも何か手がかりをつかもうと、父の近くにいられないときは、わたしは本を読んだ(この夏は老いについての読書ばかり)。冒頭の識字についての思い、識字率がアップすると世界はしあわせになれるというアメリカの知識階級の運動などにはしらけていたくせに、わたしは情報集め、世界のとらえようを、ある時期に獲得した文字を読める技術で行う。
矛盾を感じつつ、やっぱり恩恵の面もあると思った、それは本を読んで救われることがあったから。
経験だけでは足りないことを、補ってくれるところがある。

というわけで、もし、周囲の老いへの理解が追いつかないと感じている人は、機会があったら、杉田玄白の「耄耋独語」(ぼうてつどくご=老いぼれの独りごと)を読んでみてもいいかもしれない。自分のためにも。

杉田翁、数え年で84歳のときの、正直な体調心模様が書かれてある。女であるわたしと母は男性である父の生理でわからないところがあったのだけど、ここに書いてあったことでずいぶん理解ができた。

「老いの不便は(上の)七つの穴についてだけでもこれほどあるが、下の二つの穴のわずらわしさとつらさとは、いちいち数えあげられないほどである」とあって、説明してくれています。

 中央公論 日本の名著22 に現代語訳があります。

musi
  1. 2015/09/09(水) 21:57:41|
  2. からだとこころ

白い秋

赤紫蘇梅酢は夏の色なんですね。

この夏をすぎて、秋のはじまりに、自分の身の上を重ねて、白い秋を意識する。
青い春のとき、自分は、ちっとも青春ということがわからず、
青春、青春っていうけど、青春ってなに? 今、青春?
と思ってすぎていった。青春を謳歌するって、わからなかった。
でも、
白い秋。白秋というと、著名な詩人の名ばかりを思って、それを払拭しかねるのだけど、
なんとかはずして、ただ、白い秋をイメージすると、
なるほど秋は白いのだ。
白秋は、わたしには現在進行形でリアル。

さらに、更年期、ということば、うまくいいあらわしたものだと感心する。
ほんとうに、まっさらに何かかわるのだから。

自然の姿と自分の身を重ねる術。
常夏の風土の人はどういうふうに、自分の変化を重ねるのか興味のあるところだけど、
ひとまず、四季か五季のある風土では、その季節の変化に、人間の一生の変化をなぞらえる。
だから中国の文化が日本にも影響し、遠方でも季節のある西洋の文化なら強く影響するんだろう。

身体心理状態が季節に沿い、わたしはこの秋に自分を、
そしてこれからくる冬に老いた人を重ねる。

変化は黄色(金)だ。

今年の夏は、赤い夏に無沙汰の限りをつくした親のもとにせっせと通った。
まるでこうなることが定めのようで。

musi
  1. 2015/08/26(水) 14:59:14|
  2. からだとこころ

道具と怪力

IMG_8501.jpg
うーん、長さは測ったもののどうしようか。人力は無理かなあ。。。

納屋から出てきた大きなノコギリで杉の木を手伐りしたのは、つかぴぃが林業経験者で、かつ体の使い方が上手だったからではあるのですが、じつはそのさびた刃のノコギリも優れものだったのです。
古道具屋さんからいただいたノコ用の目立てやすりをもっていて、使わないままだったのを、やっぱり使ってみようと思っています。けれどもちゃんと研がなくても、よく切れるというのがすごいです。

なぜそれがわかったかというと、、、
あれは突然に気温があがった日、わたしとちーちゃんは、体がだるくて、頭も働かないので、細かい仕事はできない、といって、竹で壁を張るちまちましたことをやめました。
そこで「いっちょ、ためしに日陰の杉林でつかびぃが倒した杉を、玉切りしてみるか」となったのです。
いわば避暑に杉林にでかけ、頭が働かないので、単純にのこをぎこぎこ挽いてみようと、不純な動機でいきました。二人で一丸太くらいは切れるといいな、という軽い気持ちで。
ところが、先にちーちゃんにやってもらったところ、「けっこういける」といって、すいすい挽くのです!
きこりじょし

そうすると頭は少し働いてくるもので、ノコの刃が木にはさまって抜けなくなるとたいへん、と楔をいれたりして工夫します。
で、三本の杉の木を六本の丸太にしたのです。

前に、大工道具研究家の方が、動力のなかった時代の道具は、いまと比べ物にならないくらい優れている。といってらしたことが、現実に目の前に。
こんな大きくて錆びたノコギリ。。。邪魔。。。とも思っていたのですが、
腐っても鯛、のように、錆びてもノコ、でした。鉄くず屋さんにもってかなくてよかった。

けれども、丸太にしたのはいいのですが、いったいどうやって、この木を、下界におろすのでしょうか?
あのつかぴぃでさえ「人力では腰をいためる」といったのです。

ところが、世に怪力といわれる人がいるのです。

偶然に、わたしたちが玉切りした翌週に、千葉から、三和土をやっているところを見たいといって、五十嵐夫妻がやってきました。その旦那さん、不耕起でお米をつくっている方なのですが、怪力だったのです。(耕さないのはもったいない、というほどの力なので、くたびれるから耕さないのではなくて、道理があって耕さないことを選んでらっしゃるのですね)

ということで、男子三人で丸太を下界におろし、あとはもう少し乾かして軽くして、製材所にもっていくだけになりました。

昔話の怪力談を思います。

image2.jpeg うっ重い。。。無理だよ〜

image3.jpeg しかし五十嵐さんがいて。。。

3.jpeg
このあと五十嵐さんはちっともつかれていなく、笑顔でした。

産業革命以前、力持ちの人がどんなに重要だったのか。
馬や牛の力を借りるにしても、力持ちの人がいないと、どうにもなりません。

動力の時代になって力をもてあましている人もいるんだろうなあ。。。
気はやさしくて力持ち、って英雄ですね。


musi
撮影:千里と織子
  1. 2015/03/07(土) 14:18:02|
  2. からだとこころ

旅支度

父が心身弱ってきたので、ときどき実家に行くようになり、十数年ぶりでお正月に帰省しました。
昨年の秋にそうとう弱ったと、母がいい、
わたしや父の弟妹たちもやってきたりしたのもよかったのか、
思いのほか元気になっていました。
奇跡みたいなことがおこるんだなあと驚いて、でも確実に別れの時が来ることを実感しています。
この実感というか、心の準備って、ありがたいですね。
わたしは、しめきりがぎりぎりになるのが苦手なので、別れも余裕があったほうがいいのですから。

帰省しては、片付けを手伝っているので、父母の持ち物を眺めています。
死ぬ準備をせなあかん、って彼らはいいます。これも旅支度なんですね。

今回は父母の持ち物というよりも、自分がおしつけたものを片付けました。
それは、平和の圧力鍋とカムカム土鍋。。。
玄米食に浸っていた最後のころ、20代の後半にプレゼントしたもので、
圧力鍋だったら玄米がもっちり炊けるので、父母も食べるだろうと、当時奮発して買ったことを思い出しました。
両親とは、20代のはじめから半ばごろまでは、絶縁状態だったのが、あることがきっかけで親孝行しようとなったのですが、けっきょく自分のエゴをぶつけていただけだったなあと、一度も使われていない様子のカムカム土鍋を見て、げっそりしました。(しかし捨てていないところが親心)
圧力鍋の方はIHにするまでは、さまざまな調理につかった形跡がありました。

捨てるのもなんなので、持って帰ってきました。
重いなあ。。。よくこれも運んだもんだわ、とあきれ、この重さに、自分の尻軽さを感じ入っています。
いっときは圧力かむかむ鍋に傾倒して、しばらくは、圧力をかけると滋養が破壊されるということにひっぱられたり。

ともあれ、父母がわたしが育つ支度をしてくれたほどにはできないけれど、
彼らの心身に耳をかかむけ、こちらからおしつけるのではなく、教えてもらうようにいられたら、と願います。
ちょっとした役割のとりかえっこ。なだらかにおだやかにばかりできないけれど、とりかえっこの時期がやってきたみたいです。
でもほんとうにほんとうは、父母が子であるわたしを最期まで育て続けるってことなんだなあ、と
ゆっくりゆっくり足元をみつめて歩く父の後ろ姿に教えてもらいました。

musi
  1. 2015/01/07(水) 22:46:21|
  2. からだとこころ

鬼ぼうふら

縁側の修繕にともなって、樋もなおしました。
なおしついでに、樋から、雨水が瓶(かめ)に入るようにしたのです。
この瓶は越前焼きで、骨董界ではいわゆる下手物のいっしゅ。穀物かなにかを入れていたごくごく日常のものですが、とても大きくて、今ではあまり作られないものです。
これまでは玄関先でメダカを入れていましたが、庭先の樋の下に移動。
(メダカさんは玄関先で旧火鉢に入っていただくことにしました。)

メダカがいないので、ボウフラが我が物顔でいるのです。
おどろくほどたくさんいます!
それを、しばし見ていて思い出したというか、心あたったことがあります。

musiは小学生のころ、よくずる休みをして(でもほんとうにしんどかったのです、
学校にいきたくなくて。。。。)、布団の中に本を持ち込んだり、刺繍をしたりして、
でも午後になったらやおら起きあがって、庭にしゃがんでいました。
そして金魚やミミズやボウフラをみたり、草木をとったりして一人で遊んでいました。
それが、ある先生との出会いで次第に快活になって、中学生になってからはずる休みは、なくなりました。
(教科書を使わないで授業をしてくれました、でもすぐに亡くなってしまいました)

その先生が生きていらしたらまた違ったかもしれませんが、それからわたしは
中学生から高校生では、ボウフラもミミズもあんまり眺めなくなってしまった。。。
恋愛や部活、テスト勉強にかまけて。
恋愛はそういう時期にいたしかたないとしても、テストのための勉強の仕方の多くは、自分をバカにするものだったなあと思うのです。
部活も、もうちょっと体の使い方を素直にやりたかった。けっきょく試合に勝つってことが目標だったから。
もちろんやり方によっては、どんな教科も糧になるのだろうけど、ただただ早く終わればいいのに、って過ごしていた(特に漢文、化学)時間は、頭をぼかしたな。

もう高校生だったら先生のせいにもできないのですが、化学なんて、「はい、ここが東工大」とかって、入試の例題ばっかりで、実験なんてしなかったし、入試に関係のない地学は、そもそも教科になかったのです。

と、ボウフラを見てて、失われた時をとりもどそうとしているmusiでした。
自分はとりもどせなくても、出会った子供たち青年たちの、二度とないやわらかな時の、邪魔をしないようにいたいのです。

ボウフラは、無駄とも見えるほどの運動をする。あんなふうに泳ぐ必要があるの?
あるんだろうね、なくても、あるんだろうね。
モダンダンサーたちが、ひらひらくるくる踊って、びたっと止まって、またひらひらするのと似ている。
無限大記号に体をくねらせるなんてすごいよね。

けど、そんなボウフラダンスもおさまって、冬が来る。
蛹も踊る、ボウフラダンサーズ。

鬼ボウフラっていうんだよ、蚊の蛹。
よく見て、名付けたなあ。

musi
  1. 2014/10/21(火) 21:39:10|
  2. からだとこころ

よちよち歩き、よたよた歩き

昨日のえみおわす「旅のバザール」の最終日で、歩きはじめたふたりの赤ちゃんの姿を見て、
今朝思っていたこと。
おんなじおぼつかない歩き方でも、どうして、赤ちゃんと老人とでは違うのだろう?
赤ちゃんは操り人形みたいに、なにかにひっぱられているみたいなのに、
老人は何かにひきさげられているよう。

ひとつには、これからどんどん歩き方を発展させていくものと、
衰えていくものの違い。
老いると赤子にもどっていくというのなら、理想としては、赤ちゃんみたいに祝福される存在でありたいけど、ほとんどの現実は違う。
うーん、辛い。

もうひとつは、サイズと、脚と胴体の長さの割合。
全体的に小さい赤ちゃんは脚も短い。
最初から脚が長かったら、歩き始めるのはさぞかしたいへんだろう。
年老いて、赤ちゃんみたいな体型になっていけば、いいのに。

でもそうもなれないから、今から重心を下にできるように、と古来、体の使い方を説いているでしょう。

赤ちゃんは歩くことが遊び。わたしも赤ちゃんを真似しよう。
はいはいを充分にやってから歩くんだね。
どんなボディーワークの先生も、ハイハイから歩きはじめの赤ちゃんにはかなわない。
それは人生の中でもっとも大切な時期。
(わたしは充分にそれをやったのだろうか。)

ありがとう、赤ちゃんたち!

musi
おっと、君にもおそわるね。やもやもちゃん。やも
  1. 2014/09/24(水) 13:18:25|
  2. からだとこころ

足の日 草舟にのって

きのう8/19日は足を感じる一日でした。
(819で俳句の日の一日の方もあったようですが、こちらはさしずめハイクhikeの日でしたね)

「おしゃれは足もとから」といわれますが、musiはそれがなってない。
もともとが、おしゃれではないので、足もともなにもあったものではないのですけど、
人をみていて、足もとが決まっていると(たとえ、ほかがどうだとしても。。。)、すかっと決まるなあ、と思っていました。
自分は歩き方も立ち方もどうもおぼつかない、とコンプレックスがあります。

という前提あっての、昨日の草舟でのサンダルづくり。
てのひらワークスの小林さんに、足のかたちをよく見ていただいて、白鞣し革でサンダルをいっしょにつくってもらったのです。
ワークのあいだ、わたしの中には、もういちど、赤ちゃんがすっくと二本足で立ったように立ちたい、との願いがむくむくとわいてきました。

裸足でどこでも歩けてへっちゃらな人には、もうこの人生ではなれないのだろうけど(まだ希望は完全になくしていない)、
裸足感覚で履ける靴をめざしている小林さんという人とあえたことは、大きい。

musiがこれまで知っている作家でも職人でもない人、
靴をつくる人、いや足をつくる人?
土台を用意する人なのかしら。
カテゴライズ不可能の、可能性!

サンダルをつくったあとは、その足を夜の海と砂にさらしました。

主催してくださったxusa矢谷左知子さんは、場をととのえて、かわいい草ランチとおやつを出してくれました。
ありがとうございました。
わたしたち5人が革を彫っている午前中、キッチンでずーっとごはんをつくっている音がしていて、
感謝の気持ちでいっぱいでした。

草の舟にのって、わたしたちどこまでいったのかしら。
そういえば靴も舟の形みたい。
サンダルは筏っぽい。

グラウンディングの秋へ。
そっか、これがこの夏のmusiの脱皮なのかも。

くつ0

くつ1
小林さんの手。

くつ2
白鞣しの革テープをセットしたところ。姫路でつくられている牛の革です。

くつ4
靴底をはります

くつ5
かかとをつけるときに小林さんがそのひとの足やからだのクセをチェックしてくださいます。

++++
草舟での夏のワークショップ、
お近くの方はもとより、遠方の方も、この夏に海に近づいていない方は、ぜひぜひご参加くださいませ。
8月はまだお席があるようですよ!

くつ6
わたしたちが足のことをやっているあいだ、左知子さんとお友達はゲットウや竜舌蘭を裂いて、紐を綯っていました。足を上手につかいます。

musi
  1. 2014/08/20(水) 07:43:30|
  2. からだとこころ
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