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草虫こよみ xusa musi coyomi

:::::::::::::::くさ むし そら うみ つち ひかり

おこさまボーイズ フラワーレメディの会 これから

2019年から、西荻窪おこさまボーイズでフラワーレメディの会を月一度くらいのペースでやっていくこととなりました。
心のこもったランチをいただいて、ドロップだけを気軽にできる場となります。

◎ 月末を予定しています。
午前中には、こんにちはの会や、季節のレメディ、もしくは手仕事や星のお話を、そのときどきの巡り合わせで。

まずは
◎1月27日日曜日 10:00~フラワーレメディこんにちは(バッチフラワーレメディのガイダンス)
12:00〜ランチ 
お話を聞かずに調合のみの方はランチのあとにドロップしてください。

以下詳細です
◎バッチフラワーレメディの会◎

バッチフラワーレメディのガイダンス(初心者用講座)と
レメディボトル38種類の解放をいたします。

フラワーレメディは、自分で自分をみつめるセルフヘルプが基本です。
だから、気軽にレメディを選べる会ができたら、と思うようになりました。
わたしじしんは、植物と自分をみつめ、
大切な人の苦しみをやわらげるきっかけとして、
とても助けてもらっています。

フラワーレメディっていったいなあに、とか、
一度試してみたいけど敷居が高い、とか
すでにフラワーレメディは知っているけど、
ぜんぶのボトルをそろえるのはむずかしい、
などと思っている方へ。


◎調合だけご希望の方は、12時以降ににいらしてください。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
日時:1月27日日曜日 10時〜13時ごろまで

場所: おこさまボーイズ『暮らしのいろいろ ていねいに、』@西荻窪
http://teineini.com/

会費:ランチ付き2800円
10:00~
「フラワーレメディこんにちは講座」


そもそもバッチフラワーレメディとは何か、
レメディに対応する花と精神状態についての初級講座。

わたしがどうしてフラワーレメディにひかれたのか、
そして実際どんな影響があるのかなどもお話できたらと思っています。


11:30~
レメディ調合

各自レメディ調合をします。
レメディは一種類につき100円(7種まで選べる)、ボトル代500円
ボトルは持参してもらってもいいです。

調合された方から随時ランチへ
◎おかゆぱんとオーガニック野菜のランチプレート(三年番茶付き)


個別コンサルテーション希望の方は当日お申し込み先着2名様で、
講座のあとお部屋のはしっこでお話をききます。
コンサルテーション1000円(レメディ調合代込み)+ボトル代500円です。
別途となりますが、ワンドリンクまたはワンおかゆパンオーダーでお願いします。

◎持ち物
筆記用具 お好みのミネラルウォーター(レメディボトル用30CC程度) お持ちの方はレメディボトル


お申し込み
石田紀佳 lamuda@ya2.so-net.ne.jp
ボトルをお持ちになるかどうか記載してください。

講座定員7名くらい
  1. 2019/01/03(木) 20:40:26|
  2. からだとこころ

冬至満月とフラワーレメディ

前回、フラワーレメディこんにちは、の会をした、西荻窪おこさまボーイズで
ふたたびフラワーレメディの会をおこないます。
はじめての方もご参加できます。

ちょうど冬至期間に入った満月ですので、そんな季節のなかで冬を越していくレメディと出会いましょう。
おこさまボーイズの冬至ごはんはどんなかしら。

安心して年を新暦の年を越すために。

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「フラワーレメディと冬至ごはんの会」

日時:12月23日日曜日 13時から

場所: おこさまボーイズ『暮らしのいろいろ ていねいに、』@西荻窪

会費:2800円
13:00~ おこさまボーイズの冬至ランチ 
13:45~15時くらい「冬至満月とフラワーレメディについて」のお話

レメディは一種類につき100円(7種まで選べる)、ボトル代500円
ボトルは持参してもらってもいいです。


個別コンサルテーション希望の方はお申し込み先着2~3名様で、
講座のあとお部屋のはしっこでお話をききます。
コンサルテーション1000円(レメディ調合代込み)+ボトル代500円です。
別途となりますが、ワンドリンクまたはワンおかゆパンオーダーでお願いします。

◎持ち物
筆記用具 お好みのミネラルウォーター(レメディボトル用30CC程度) お持ちの方はレメディボトル


お申し込み お問い合わせ
石田紀佳 lamuda@ya2.so-net.ne.jp
ボトルをお持ちになるかどうか記載してください。

講座定員7名くらい
  1. 2018/12/15(土) 19:55:48|
  2. からだとこころ

『ヒルデカルト − 緑のよろこび』上映会 & お話会

『ヒルデカルト − 緑のよろこび』上映会 & お話会→

12/5日に代々木上原ハコギャラリーでの上映会で、
草暦の販売もさせていただくこととなりました。

映画のお席は夜の部が少しあるそうですので、
ご都合のあう方はお申し込みください。

musi石田紀佳
  1. 2017/12/11(月) 20:27:12|
  2. からだとこころ

感情労働は素直にできたらいいね

草暦、みなさんのお手元にとどき、新年からはめくっていただくのですが、
もしかすると二枚ある月もあるかもしれません。これは外して何かに使ってください。
でもめったにないはずですが、落丁もあるかもしれませんのでそのときはご一報ください。
紙の厚さが微妙に違ううえ、古い機械で丁合をしてもらっているので、そういうことがあるのです。

わたしたちがお願いしている印刷屋さんは、和紙屋さんでもあって、職人気質というのか、
ぜんぜんぺこぺこしていなくて、
ときにどなられることもあります。
ご担当の方はわたしよりずっとずっと年配でもあるので、いっていることが通じているのかどうかわからないこともあるのですが、
でも販売が順調だというと、喜んでくれるし、紙の話になると、熱いのです。
だから来年も続けさせていただきたいなあと願っています。

そんな印刷屋さんとの、お客が怒られるというやりとりは、考えてみれば、いいものです。

このごろでは、肉体労働と頭脳労働だけでなく、感情労働なるものがあるのだと心理学関係の人から聞きました。
たいへんな重労働で、心身にあたえる歪みは大きなものだそう。
たしかに、どんな無茶な顧客のクレームにもひたすら低姿勢で応えるという態度がある。

でも、まだ新米というかへたくそだとマニュアル通りの慇懃無礼で、気持ち悪いなあとも思う。

いずれにしても、仕事が終わってから、それぞれの性格にあった解消法でうさをはらしているんだろうな。

それにくらべると、印刷屋さんは素直で気持ちいい。

健全なサービス業、人とのやりとりができるようになりたいです。
多少の本音、悪意のない素直さ、があったほうが気持ちいいんだけどな。
慇懃無礼していると、へんに傷つけることもあるのではないかしらね。

というわけで、わりかし本音でやりとりしてできている草暦でした!
いろいろあるけど、ま、人間世界のやりとりは大自然からしたら、問題外の外。

2017年、大きな宇宙、ミクロの深さに導かれて、すすみましょう。

musi
  1. 2016/12/28(水) 21:27:00|
  2. からだとこころ

お花屋さんの素顔

「ぼく5さい」という男の子とお花屋さんにいった。
「100円と50円」をにぎりしめて。
ピーマンを枯らした経験があるらしく、枯れないものがいいという。
わたしは「ミニトマトなんかどお、あんまりお水やりしなくていいよ」といったけど、ピーマンと似た印象があるらしく、首を振る。
そこで「お母さんにお花にプレゼントしようか」といったら乗り気になる彼。
150円で買える花をさがしてやりとりをしていたら、後ろから、「このお花もいいよ」とやさしい声。
ふりかえると笑顔の店長さん。
じつはこのお花屋さん、ときどき欲しいなというものがあって、その花のことをたずねると、お店の人はたいてい不確かな返事で、そしてしばしば厳しくスタッフを叱咤している店長さんをみかけていた。
その店長さんはいつもいそがしそうだしこわそうなので、私は話しかけたことなかったのだけど、今日、彼女の素顔にあえたのだ。
きいちくんがいっしょにいってくれたから、あえた。

店長さんはやさしいから厳しいんだな。
今日はもういちどわたしもひとりでそのお花屋さんにいこうかな、と目が覚めていちばんに思った。

musi
  1. 2016/04/25(月) 07:22:08|
  2. からだとこころ

のろのろ歩ける人 

musiの父の幼なじみに、西陣で杼(織物の道具)をつくる方がいて、日本ではもうほとんどその方だけなんでしょう、82歳で現役の職人さんです。

先日、着物を織る作家さんが、ぜひ長谷川さんに杼をお願いしたいというので、わたしははじめて父の友人に電話したのです。こてこての西陣の京都弁で話されるからやわらかなんですが、あまりの腰の低さにびっくり。親友の娘ということはあるけど、でも「なんでもいうておくれやす、手ぇになじむもんをつくらせてもらいますよって」とおっしゃるのです。
いちおうパンフレットもあり、そこから選ぶこともできるのですが、そうでなくてもいいし、使っていって不具合があれば、馴染むまで「なんぼでも調整させてもらいますさかい」というのです。

腰が低いのだけど、これは自信です。確固たる自信がなければ、なんでもつくる、とはいえないですから。

年をとって、体はきつくなるけど、芸は円熟していく。
世阿弥が書いたとされる花伝書そのもの。

そのことを母につたえると、10年ほどまえに父たちの友達グループで旅行をしたとき、いちばん足がのろのろで腰をまげて歩いていたのが長谷川さん。みんなで長谷川さんののろのろ歩きを待っていたくらいだそう。
その友達の中で今はいちばん元気なのが長谷川さんです。
そのグループには、西陣の帯や着物問屋のぼん的人たちもいて、その奥さんたちも我が世の春のような勢いでいらしたけど、みんな没落したそう。
もちろん亡くなった方は半分以上。

こつこつこつこつやってきた長谷川さんは、一生をかけて、ゆっくり歩く練習をしていたのかなあと思います。
そして今の境地にいらっしゃる。

せっかちのmusiもゆっくり歩けるようになろう。
それが2016年の、カメ年でもウサギ年でもない、さる年の歩き方。
人が二本足でたったときの感慨を。

musi
  1. 2015/12/28(月) 20:30:14|
  2. からだとこころ

老いぼれの独りごと

先日、母から、父がとっていた最後の新聞をやめた、という知らせがあった。
新聞なんて読まなくても、文字を書きもせず読みもせずともたくましく賢く生きているインドの人を知っているから、新聞をやめたことくらいたいしたことではない、人間としてべつに大した問題ではなく、むしろ新聞なんて読むよりもっと大切なことがあるんでないの、と思っていたつもりだったけど。。。

生まれてからひとつひとつできるようになったことが、できなくなっていく。
二歳児の爆発期の逆現象がおきて、二歳児は伸びゆくのに、老年の死から二年前は爆発的にしまわれていくのかも。
老い方のバリエーションはあまりにひろいから本を読んでもわからないのかもしれないけど、それでも何か手がかりをつかもうと、父の近くにいられないときは、わたしは本を読んだ(この夏は老いについての読書ばかり)。冒頭の識字についての思い、識字率がアップすると世界はしあわせになれるというアメリカの知識階級の運動などにはしらけていたくせに、わたしは情報集め、世界のとらえようを、ある時期に獲得した文字を読める技術で行う。
矛盾を感じつつ、やっぱり恩恵の面もあると思った、それは本を読んで救われることがあったから。
経験だけでは足りないことを、補ってくれるところがある。

というわけで、もし、周囲の老いへの理解が追いつかないと感じている人は、機会があったら、杉田玄白の「耄耋独語」(ぼうてつどくご=老いぼれの独りごと)を読んでみてもいいかもしれない。自分のためにも。

杉田翁、数え年で84歳のときの、正直な体調心模様が書かれてある。女であるわたしと母は男性である父の生理でわからないところがあったのだけど、ここに書いてあったことでずいぶん理解ができた。

「老いの不便は(上の)七つの穴についてだけでもこれほどあるが、下の二つの穴のわずらわしさとつらさとは、いちいち数えあげられないほどである」とあって、説明してくれています。

 中央公論 日本の名著22 に現代語訳があります。

musi
  1. 2015/09/09(水) 21:57:41|
  2. からだとこころ

白い秋

赤紫蘇梅酢は夏の色なんですね。

この夏をすぎて、秋のはじまりに、自分の身の上を重ねて、白い秋を意識する。
青い春のとき、自分は、ちっとも青春ということがわからず、
青春、青春っていうけど、青春ってなに? 今、青春?
と思ってすぎていった。青春を謳歌するって、わからなかった。
でも、
白い秋。白秋というと、著名な詩人の名ばかりを思って、それを払拭しかねるのだけど、
なんとかはずして、ただ、白い秋をイメージすると、
なるほど秋は白いのだ。
白秋は、わたしには現在進行形でリアル。

さらに、更年期、ということば、うまくいいあらわしたものだと感心する。
ほんとうに、まっさらに何かかわるのだから。

自然の姿と自分の身を重ねる術。
常夏の風土の人はどういうふうに、自分の変化を重ねるのか興味のあるところだけど、
ひとまず、四季か五季のある風土では、その季節の変化に、人間の一生の変化をなぞらえる。
だから中国の文化が日本にも影響し、遠方でも季節のある西洋の文化なら強く影響するんだろう。

身体心理状態が季節に沿い、わたしはこの秋に自分を、
そしてこれからくる冬に老いた人を重ねる。

変化は黄色(金)だ。

今年の夏は、赤い夏に無沙汰の限りをつくした親のもとにせっせと通った。
まるでこうなることが定めのようで。

musi
  1. 2015/08/26(水) 14:59:14|
  2. からだとこころ

道具と怪力

IMG_8501.jpg
うーん、長さは測ったもののどうしようか。人力は無理かなあ。。。

納屋から出てきた大きなノコギリで杉の木を手伐りしたのは、つかぴぃが林業経験者で、かつ体の使い方が上手だったからではあるのですが、じつはそのさびた刃のノコギリも優れものだったのです。
古道具屋さんからいただいたノコ用の目立てやすりをもっていて、使わないままだったのを、やっぱり使ってみようと思っています。けれどもちゃんと研がなくても、よく切れるというのがすごいです。

なぜそれがわかったかというと、、、
あれは突然に気温があがった日、わたしとちーちゃんは、体がだるくて、頭も働かないので、細かい仕事はできない、といって、竹で壁を張るちまちましたことをやめました。
そこで「いっちょ、ためしに日陰の杉林でつかびぃが倒した杉を、玉切りしてみるか」となったのです。
いわば避暑に杉林にでかけ、頭が働かないので、単純にのこをぎこぎこ挽いてみようと、不純な動機でいきました。二人で一丸太くらいは切れるといいな、という軽い気持ちで。
ところが、先にちーちゃんにやってもらったところ、「けっこういける」といって、すいすい挽くのです!
きこりじょし

そうすると頭は少し働いてくるもので、ノコの刃が木にはさまって抜けなくなるとたいへん、と楔をいれたりして工夫します。
で、三本の杉の木を六本の丸太にしたのです。

前に、大工道具研究家の方が、動力のなかった時代の道具は、いまと比べ物にならないくらい優れている。といってらしたことが、現実に目の前に。
こんな大きくて錆びたノコギリ。。。邪魔。。。とも思っていたのですが、
腐っても鯛、のように、錆びてもノコ、でした。鉄くず屋さんにもってかなくてよかった。

けれども、丸太にしたのはいいのですが、いったいどうやって、この木を、下界におろすのでしょうか?
あのつかぴぃでさえ「人力では腰をいためる」といったのです。

ところが、世に怪力といわれる人がいるのです。

偶然に、わたしたちが玉切りした翌週に、千葉から、三和土をやっているところを見たいといって、五十嵐夫妻がやってきました。その旦那さん、不耕起でお米をつくっている方なのですが、怪力だったのです。(耕さないのはもったいない、というほどの力なので、くたびれるから耕さないのではなくて、道理があって耕さないことを選んでらっしゃるのですね)

ということで、男子三人で丸太を下界におろし、あとはもう少し乾かして軽くして、製材所にもっていくだけになりました。

昔話の怪力談を思います。

image2.jpeg うっ重い。。。無理だよ〜

image3.jpeg しかし五十嵐さんがいて。。。

3.jpeg
このあと五十嵐さんはちっともつかれていなく、笑顔でした。

産業革命以前、力持ちの人がどんなに重要だったのか。
馬や牛の力を借りるにしても、力持ちの人がいないと、どうにもなりません。

動力の時代になって力をもてあましている人もいるんだろうなあ。。。
気はやさしくて力持ち、って英雄ですね。


musi
撮影:千里と織子
  1. 2015/03/07(土) 14:18:02|
  2. からだとこころ

旅支度

父が心身弱ってきたので、ときどき実家に行くようになり、十数年ぶりでお正月に帰省しました。
昨年の秋にそうとう弱ったと、母がいい、
わたしや父の弟妹たちもやってきたりしたのもよかったのか、
思いのほか元気になっていました。
奇跡みたいなことがおこるんだなあと驚いて、でも確実に別れの時が来ることを実感しています。
この実感というか、心の準備って、ありがたいですね。
わたしは、しめきりがぎりぎりになるのが苦手なので、別れも余裕があったほうがいいのですから。

帰省しては、片付けを手伝っているので、父母の持ち物を眺めています。
死ぬ準備をせなあかん、って彼らはいいます。これも旅支度なんですね。

今回は父母の持ち物というよりも、自分がおしつけたものを片付けました。
それは、平和の圧力鍋とカムカム土鍋。。。
玄米食に浸っていた最後のころ、20代の後半にプレゼントしたもので、
圧力鍋だったら玄米がもっちり炊けるので、父母も食べるだろうと、当時奮発して買ったことを思い出しました。
両親とは、20代のはじめから半ばごろまでは、絶縁状態だったのが、あることがきっかけで親孝行しようとなったのですが、けっきょく自分のエゴをぶつけていただけだったなあと、一度も使われていない様子のカムカム土鍋を見て、げっそりしました。(しかし捨てていないところが親心)
圧力鍋の方はIHにするまでは、さまざまな調理につかった形跡がありました。

捨てるのもなんなので、持って帰ってきました。
重いなあ。。。よくこれも運んだもんだわ、とあきれ、この重さに、自分の尻軽さを感じ入っています。
いっときは圧力かむかむ鍋に傾倒して、しばらくは、圧力をかけると滋養が破壊されるということにひっぱられたり。

ともあれ、父母がわたしが育つ支度をしてくれたほどにはできないけれど、
彼らの心身に耳をかかむけ、こちらからおしつけるのではなく、教えてもらうようにいられたら、と願います。
ちょっとした役割のとりかえっこ。なだらかにおだやかにばかりできないけれど、とりかえっこの時期がやってきたみたいです。
でもほんとうにほんとうは、父母が子であるわたしを最期まで育て続けるってことなんだなあ、と
ゆっくりゆっくり足元をみつめて歩く父の後ろ姿に教えてもらいました。

musi
  1. 2015/01/07(水) 22:46:21|
  2. からだとこころ
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