この夏もさまざま、
尊い出来事や出逢いがありすぎて、
胸がいっぱいのことだらけでした。
日々次々と降って湧いてくる、
両手にあふれるほどの
ふかくふかく染み渡る、それらのことごと。
ひとつひとつ書けないほどで、
結局なにも書かないまま、
季節はぐんぐんと巡って行きます。。
先日はmusiさんとの共通の仲良しの
ささたくやくんのライブが鎌倉であり、
「草弁当」を出前しました。
うちのこの急坂山道の自宅から20食のお弁当などかついでエンヤコラ車まで登山3往復とか、
そんなことも日常当たり前のシーン、そんな暮らしを相変わらず。
お馬のことのその後も
あまりにもありすぎて、ご報告もままならず。
でもおかげさまで、少しずつよい方向に進んでいます。
また書きます。
今は馬のことばかりしています。
草から馬。
いよいよ。
馬がこれからの扉を開けてくれます。
そして、
ついに暦!!!
まだ白紙状態です。
xusa
- 2017/09/02(土) 21:43:36|
- 徒然
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道を歩いていたら
突然カラスが低空飛行で私のすぐ脇をすりぬけていった。
なんとも違和感のある飛び方だとおもった。
目で追うと、口になにかをくわえている。
そして続いてそのすぐあとに、ツバメがカラスを全力でバタバタと追いかけてきた。
カラスの口の周辺を、叫びながら、激しく飛び交う。
どうやらヒナが持っていかれたのだとわかった。
ツバメのお母さんが必死でカラスに立ち向かっていた。
でも、もうかなわない。
なんとも。。
暗い気持ちになるけれど、この星ではそれは自然の摂理。
カラスだって子育てしている。
他の命をいただく、ということが、この星では宿命となってしまっている。
以前動画で、
トラックに乗せられて屠殺所に連れて行かれる仔牛を
お母さん牛が追いかけていくのを見た。どこまでも、どこまでも、見えなくなるまで。
ベソベソ泣けた。
カラスのことはしょうがない。
でも人の美食のために、
単なる趣味嗜好のために、
娯楽のために
たくさんの動物たちが、無残なことになっている、
それもこの星の宿命なのだろうか、
そうではないと思っている。
食べ過ぎる飽食文化のなかに、
そして食べ残しの残飯のなかに、
その仔牛たちの命も入っていて、
毛皮や鞄や象牙や亀甲の細工のために
野生の生き物は密漁され犠牲になる。
お母さんを奪われた赤ちゃん象が悲しみに混乱している映像も見たことがある。
もう絶対数が少なくて、
彼らは、やっと生きてるものたちでもある。
サーカスや、
ペットの繁殖業者
希少種の密売
命をお金で売り渡すさまざまなこと。
残酷な動物実験。
ダウンなどのために生きながら羽をむしられる鳥たち。
漢方の熊の胆のために、熊たちには生きながら死の苦痛が与えられる。
そして
なにより日々の食用肉になる、牛豚鶏たちの現実。
はー、もうキリがなく、動物をめぐる、心痛む現実にあふれていて
なんとかしなくちゃ、と思ってみても、途方もなく、
そしてその残酷な現実を直視する勇気が、情けないことに、私にはさらさらなく。。
反応しすぎて耐えられないのです。
せめて
肉食をやめ、
動物実験のものを買わず
ダウンを買わず
エネルギーを使わず
排水に気をつけ
動物側にたって行動する人たちのサポートをしたり、
せいぜいそんなことくらいしか。
それだって自己満足に過ぎないこともわかってる。
まだまだ知られていない、気がついていない過酷な現実があることも。
でも、できることからするしかない。
ひとつひとつ。
今回の選挙で、公約の一つに、動物の殺処分をゼロに、と掲げる候補者がいた。
人の都合ばかりが取りざたされる、その最骨頂でもある国政選挙の公約のなかに、それを入れこんだ感度は新しい。
公約に他の命のことまで言及できる、
そこにまで感覚が及ぶ政治家が増えることが、フェアで平和な世界の実現に直結していると思うのです。
その人は残念ながら当選しなかったけれども、
いつの日か、そんなこと当たり前、の世界になることを夢想してみる、
そんなこんな
徒然なるまま・・
xusa
++++++++++
ことばをなくしてしまう。
つばめのおかあさんがカラスをおいかける目とくちばしが見えた。
そしてカラスにもカラスの子がいて。。。
他の命によって生きるほかないわたしたち。
共生か競争か?
競争も共生もいっしょなんだって、野原は教えてくれる。
共生がなれあいや共倒れにならず、
競争が争いにならなくて、励みになる。
たとえば自分はどうだろう。
自然体で、ありのままで、ぽかん と しっかり生きる。
いつのまにかそうなっていく、心の欲するところに素直にいけば、
新しい生き方につながっていた、としたい。
でもそれはあまりにも呑気だよ、と自分の中のだれかがいう。
musi
++++++++++
だいじょうぶ、
'それはあまりにも呑気' ではないよ、のりちゃん
ゆいいつ、それが、一番の近道
本道、
そう思ってる
xusa
- 2016/07/12(火) 23:16:13|
- 徒然
-
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3日前
ファースト椿が咲きました。
初々しく小さな乙女椿。
椿に見とれていたら
その後ろでは
桜の落葉が空から降ってきて、
女郎蜘蛛の巣に引っかかってバウンドしながら宙に浮き
庭から見える富士山の頭もスッポリと初冠雪
小さく姿を現した冬の気配に驚いた朝でした。

- 2015/10/16(金) 13:27:50|
- 徒然
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きのう、とりよせた文庫本(古書)がとどいたので、夕飯後に読んで、かなりぐっときたので、ひとまわり以上年上の家人に「チップス先生って読んだことある?」ときいたら、「英語の教科書にのっていたから、いやな思い出しかない」といわれました。なんて不幸な出会いだろう、彼は英語の教科書に小説の抜粋があったせいで、英米文学ってうすっぺらだと感じたらしい。。。
チップス先生をとりよせたのは、あるお茶関連のイベントで、「お茶と読書」という切り口でお話を、となったからです。
(でもこの切り口はなくなってしまったの。没企画no.xxx)
チップス先生さようなら、をわたしは子どものころ(幸運にも教科書でなく)読んで、あらすじはまったく忘れているのに、お茶をミックスして訪問者に出すシーンだけを折りにふれて思い出していたので、チップス先生のお茶会のシーンを紹介しつつ、みたいにしたらどうかな、とプランニングして、本を取り寄せたのです。
そしたら、お茶は別として、内容が個人的にタイムリーでした。
老人の話、杉田玄白つながりのところがあったのです。
版画もよかった。挿絵がちょっとしかないのに情景がありありと浮かぶところが、小説の素晴らしさですね。
写真や映像もいいけど、想像の予知があるのがいいな。
作者のヒルトンは30代でおじいさんが主人公の世界を描いたのです。
斜陽のイギリスと人間を重ねながらも、
あるきっかけで保守的に固い思想がほぐれたり、
最後に独り身で死んでも、実際の家族がいなくても、家族がいるということ。
平凡というか、特技や高い能力がなくても(ないからこそ)、不幸にみまわれながらも、人生における自分の役割を明確に知っていった人がチップス先生。
この本の中にも生徒である若者と、老人の思いがずれるところがあるけど、10代のころにはこの内容は違った意味でしかわからないのかも。少なくともわたしは最近まで老人のことがわからなかったし、ほんとうには、老人になるまではまだわからないけど、今は少年たちとチップス先生の間にいて、双方を感じている。
年をとるのは。。。熟成agingされていけば、芳醇な世界が(気楽なばかりでないのは確か)ひらかれること。
人によってはそれを臭い! と感じるかもだけど。
香りの好みも人それぞれだし。
musi
- 2015/09/13(日) 12:16:51|
- 徒然
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-
草も
海も
すぐそばにあってくれて、
いつでもコンタクトできるのに
私にとってのそれぞれの旬は実はとても短く、
しかも同時季でもあるということに気がつきました。
この何年も、夏は海を優先していたのですが、
草にフォーカスすると実は旬が同じ。
これはなやましいことです。
海もお盆前のほうがクラゲも少なく、なにか清らか。
そして、朝早い方がだんぜん気持ちよい。
草もそれは同じで、お盆過ぎるともうトウ立ちして繊維も固くなります。
そしてやっぱり朝一番に取りたい。
*
草と海は私にとって
とても大事な要素です。
海に身を浸すことのかけがえのなさを知ってからは
夏はできるだけ海に潜っています。
泳ぐというよりは、
浮かんでいたり、海底を歩いてみたり、でんぐり返ってみたり。
身も心もすっかり新鮮になって、
からっぽに抜けて・・
海のそばに20数年住んでいたのに、
海と深く交わり始めたのは、この10年。
草の布を織ることを休止してからです。
作家時代は、夏はひたすらの草刈りと糸つくり。
ひと夏で一年分の糸の収穫をするので、くる日もくる日も草刈りでした。
炎天下、過酷な体力仕事、よくやってました。
でもそれは他に例えようのない、素晴らしい抜け感
自然との深いコンタクト
身体ぜんぶを使った労働によって、
草の奥に広がる、その向こうの世界をかいま見る・・
それは10年前に突然休止されました。
母の他界によって、チャンネルが変わったかのように
それに向き合えなくなってしまいました。
そして私は海に出逢いました。
潜ってみると、
そこには「草の向こう」と同じものがある、
そう感じました。
地上とは質の違う、
そして圧倒的にダイナミック、
でもおなじもの。
それからは夏は草より海・・
*
今朝、久しぶりに苧麻刈りに出かけました。
野の苧麻は常に刈られる存在、
ねらっていた近所の駐車場の隅に群生していた苧麻は
夏のはじめにあっという間に刈られてなくなってしまったのですが、
それから一ヶ月、
うまい具合に2番芽が伸び盛ってくれました。
背丈ほどある、重い草の茎を何十kg、背負って山道を歩いてもどりました。
真夏の汗だくの労働
でもこの草はこれから糸になってくれるのです。
深いところから、フツフツと湧くような歓びがあります。
私にとっては海も同じようなよろこびの源泉です。
朝
草を刈り
夕
海に入る
明日
草をおしえてくれ、
海に向かわせてくれた
母の10回目の命日
今年も暑い夏です。
xusa
- 2015/08/05(水) 13:32:03|
- 徒然
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子供のころから忘れんぼうのクセがあって、大人になってもなおらない。
というか、気をつけようという意識が薄いのだと思う。
落とし物もよくする。
でもこれまでたいていの落とし物はでてきたから、
今回も、どうせ出てくる、とたかをくくっていた。
岡山へ行く道中で衣類布類洗面道具一式をいれた袋を、JRの電車の網棚においたままにして、
それに気づいたときにはもうひきかえせない時刻だったのでした。
まあ、飛行機の出発時刻に間に合わせる、という選択をしたのです。
冷や汗をかいたけど、切符はもっていたので飛行機に乗れて、
気持ちをきりかえたのんきなmusiは身軽でいいなあ、くらいな気分で昨夜までいたのでした。
ところが、いつもなら「ありました」といわれるところが「今の時点であがっていなかったら、これまでの事例ではもうあがってくることはありませんね」と宣言されたのです。
ha-
こんなふうにあっさりなくなるのだ。
潔く、忘れよう、と頭では決めるのですが、なかなかたちきれない土曜の雨の昼下がり。。。
実は、もっとも大切な布類、手紡ぎ手織り、手縫いのものばかりを入れこんでいた自家製ショルダーバッグだったのです。。。
けれども、あの津波で大切なものばかりか、人までもっていかれた方々は、
わたしどころの胸騒ぎではなかったのだなあ、と今さらながら、人ごとだった自分に気づく。
もちろん今でも人ごとなんだけど、ごめんなさい、という気持ちでいっぱいになる。
そしてまた、あの布たちを見せびらかそう自慢しようとしていた自分のあさましさ。。
失せものは、なくしたぶんだけ、何かが入ってくるみたい。
それに幸運なことに、イノチだけはまだ落していない!
でも。。。もしかしたら大切なものを忘れているかも、
と足下をみつめ、ワサワサ過ごしている自分の惰性に、そろそろけりをつけるころなのだ、とはっとする。
(なのにまだまだ未練はあって、やっぱり交番にもとどけよう、とクヨクヨしているのですが。。。)
このワサワサクヨクヨは更年期の通過儀礼だろうか、とも感じる。
48歳になったmusiは、体が違うステージにいくのだから、心だって違うステージにいくはずなのだから。
少しずつ変化していく体が、さっぱり更生される日へ、
心と体が少しずつずれていったりきたり交叉しながらも、確実にその日にむかっていっているのだろうな。
思春期のときはそれを意識することができなかった。
そういうことがおこることが恥ずかしくてイヤだったというのもある。
今回も恥ずかしさはあるし、ある意味自然死には近づいているから恐れもあるけど、タップリ味わってみたい。
落としもの、忘れものには、こころくばりを。
musi
- 2013/10/05(土) 12:21:49|
- 徒然
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えみおわすのなおきさんのお知らせで、3/11をきっかけに岡山に移住した人たちを撮った写真展と展示会があるのを知りました。
たくさんの人が移住したんだなあ。
このまえ月ヶ瀬にいったときに、阪神大震災のとき、大阪の中州のマンションの高層に住んでいて「もう暮らしをかえないかんな」と決心して、彼の地に移住したという方にあいました。
奈良晒のお話を聞きにいったのですが、地元の人ではないようで、なんとなくどうしてここに移り住んだのか、という話になったのでした。
それまではカメラマンの夫とグラフィックデザイナーの妻はばりばり都会で働いていたそうです。
そして20年がたったのです。
わたしはお話をききながら、すごく不思議な感覚になって、なおきくんたちの20年後とかを想像したのでした。
musi
- 2013/07/25(木) 20:41:23|
- 徒然
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さっき雨雨の記事を書いたばかりなのに・・!
あれから突然雨が止み、庭からひさびさに伊豆半島と富士山がクッキリと。
ノアの雨が止んだかのような神々しい光と小鳥たちのさえずり
山がにぎやかになってきました。
大喜びで飛び出すかな、と思ったヒナは、
ちらっと寝床から外を見てまた寝直しました。 xusa
- 2013/04/03(水) 16:40:24|
- 徒然
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雨雨雨::::
もう3日も降りつづいています。
このところWSやイベント続きで息切れのxusaにはちょうどよい休息・・
とはいえ、ちょっと降り過ぎな菜種つゆ。
台風のときも暴風雨のときも、ノコノコお出かけのヒナも
このシトシト雨にはすぐに帰ってきます。
いいかげん青空が見たいけど、
しずまる日々です。
xusa

- 2013/04/03(水) 13:08:27|
- 徒然
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国のため、
兵役か田んぼ体験義務かどっちかやんなきゃいけないっていわれたら?
わたしが男だったら、きっと兵役を選ぶと、答えた。
米が日本の魂だっていって、いそいそ集団稲刈りするなんてまっぴらごめん。
国のためってのは、どっちにしてもイヤだけど。
でもいやっていっても、
今の職業選択や言論の自由を、実はわたしは国から守られている。
くそっ。
そんなことしてもらっているんだから、
いつだって「いうこときけよな」といわれれば
たしかに。。。
知らないうちのgive and take
税金少しは払ってるかもしれないけど、まあgiveしてもらってることの方が多い
なさけないぜ
くそっ
昔、ノマドのようにいきていそうなヒッピーにもあこがれたけど、
結局、生活保護もらったり、
切符をひろってきせるしてたり、
切手を何度もつかう悪知恵はたらかせて、
(それだけじゃないけど)
こんなのアナーキーじゃない、ぜんぜんヒップでない.
そんなせこいことに頭使うなら、他のことしたほうがいいんでないの。
カンニング野郎みたいだぜ、
って
唾はいて逃げたんだ。
くそっ。
反原発、マジでやるなら、電気使うなよ、
っていわれるよ。
くそはめぐりめぐって、めしになる
はずだ。
だけど。。。
musi
- 2013/01/31(木) 20:14:40|
- 徒然
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