きのう十六夜の月のもと、十五の花を見た。新月から毎日ひとり、月にむかって花をいけた人の十五日。もしわたしたちの星のまわりをまわる星がなかったら、いまのわたしもいなかったろう。
月のめぐり、日をめぐるわたしたち。 musi
草暦の12の月を見渡したら、とお便りをいただきました。

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一枚ずつ、めくる、ということしかなかった思考が
パーンと鮮やかに破られました。
これ新鮮!ちがう世界がみえてくるな。 xusa
- 2007/11/26(月) 09:02:57|
- 草暦
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昨夜、つめたいところにいたせいか、月の光がするどかった。冬らしい。
今夜は月光を、雲のあいまでしか感じてないけど、十日夜(とおかんや)。山の神様が田から山に帰るとか。
いのしし、しか、どうしているかな。
白い2匹の子猫が、里芋貯蔵の仕事をする夫婦を遠目で追って、ないている。ついていきたいのに、まだそこまではいけない。いけるラインがあるのよね。くるくるくるくる、その線までをいったりきたり。ミャア、ミャアア。おいでおいでとやさしくよばれても、いけない。
あ、わたしも。 musi
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子猫がくるくる・・
行きたくても行けないラインがある
ネコを見てると厳然とわかる、そのライン
侵すことかなわぬ一線
そのまえで佇む猫の姿に感銘を受ける。
人間は踏みとどまるラインを見失ったんだな。 xusa
- 2007/11/19(月) 22:03:53|
- 動物
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授業をさぼっていった図書室で、雑誌の抽象画にぐらぐらしてから、いまだ逃げられない世界。おばさんやみさちゃんにもぐらぐらするけど、でも、あの力をいまだ信じている。
現代人に残された祈り。のような。 musi

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昨晩パネリストで参加した葉山での
ミニシンポジウム。
今葉山でおこっている海、山、住宅地の無残な開発、
それに対峙するときまさにアートの力が要ると思った。
政治的な直線的な方法で動かなかった世界の在り方をポン、とあっさり転換できる力、
固まった動きにクリエイティブな直感で風穴を開ける、それはartの役割の大きなひとつではないんだろうか。
その意味では身近に迫った切実な環境問題を通して、そうしていきたいと願う自分はアーティストだったんだな、と最近ある日、初めて思った。
アートの意味をはじめて実感した。
美大卒業後ウン十年たってようやく。 xusa
- 2007/11/11(日) 21:00:59|
- 未分類
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