
みょうがのヤブに四つんばいになってもぐりこむと
光がぽっぽっ。
みょうがの花、大好き。
前に「好きな花はなんですか」と3度目にあった人にきかれて
「うーーん、、、、ユキノシタ」とこたえたら、
植物のイラストを描き、庭の手入れなどをするその人は、
いつもはものしずかなのに、大きな声で
「ああああーーー、それがあったーーー」とさもくやしそうにした。
こんどそんなこときかれたら、みょうがといおう。
くやしがるだろな。 musi
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う~やられた
次は茗荷をアップしようか、などと思っておりました。
いま盛りだね。
ミョウガの花ももジンジャーの花も好きと思ったら、どちらもショウガ科なんですね。

写真はきのう箱根の道路際にニョキニョキ生えてた植物。
かえってから調べたらシシウドだって。花は白くてフェンネルみたいだった。
シシという名のように力強い茎から繊細な花がフシギなバランス xusa
- 2008/07/30(水) 23:53:57|
- 未分類
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葉山の友人の鍼灸院で「ほうろく灸」をしてきた。
日ごろ特に不調がないので鍼灸にはご縁なく、なかなか行くチャンスがなかったのだけど、
素焼きの鉢をかぶってその上でモグサを焚いて暑気払い、というので即、参加。
頭に鉢をかぶって煙がモクモク・・
皆で鉢をかぶる時点でどうしようもなく笑え様々な境界はすぐさま取り払われる。
モグサを点火、しばらくするとアチチが来て、
頭の上にトウガラシの粉をふりまかれたみたいなビリビリ感。
それからしだいに何かが溶け、流れ、緩む。
シャキンとしつつもユルユル
これはいい~
伊豆でもやってみた。
モグサは3年前の盛夏に亡くなった母といっしょにその直前まで採り溜めていた野生のヨモギを干したもので。
母の治療に使っていた。
冬になってもなくならないよう、二人で採りためている最中、たいして使わないうち
母はこの世から旅立っていった。
以来3年間、時が止まった場所に放置され、手を入れられなかった所から
いきなり今回こちらにワープ、突然のモグサづくり。
きっかけはいつも予想外のところからやってきて、
傷口はひとつずつ、あっけらかんとまた癒えていく。
漢方薬屋で買ってくるヨモギの葉は中国製、
もくもくと立ち上る勢いの煙。。
母はその煙が苦手で咳き込んだ。
それなら近くのものでつくってみよう、とようやく大きくなってきた野生のヨモギを
伊豆の家の周辺で採った。
火を付けてみると、大陸のものとは驚くほどの違いがある。
すーっと下にすべるように降りて伝うキメの細かい静かな煙。
咳き込むことなく、母の身体に自然に受け入れられた。
身と土、二つにあらず
その草でつくったモグサでほうろく灸
暑気払い
こんど田んぼのあと、みんなでやりましょ! xusa
クルマのアンテナに止まってた:::::::
もうすぐ、ママの逝った日になりますね。
あの夏、xusaは今までとは違う(通じるのだろうけど)草狩りの日々だった。
あのあと、たくさんとって干したよもぎとすぎなをわたしもいただいて。
きめの細かいけむりがすべるように降りる、たしかに。musi
- 2008/07/28(月) 22:46:11|
- 草で作られたもの
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ノウゼンカヅラ、やっと咲きました きのう、おとといの二日間、
ちいさなコツコツ・・という音で目が覚めてる
ー寝室はスキマだらけの木枠の窓、
おまけに開けっぱなしなので、外でテントで寝てるのとあまり変わらないのです。
時計を見るとまだ6時まえ
ナンダッケ、この音・・
寝ぼけた頭ででしばし考える。
朝から小さな大工さんが働いてるような、、
もしかして・・
そっと起き上がって、音のするほうをのぞいてみる。
隣との境の大島桜の枯れ枝の向こう側、小さな頭がときどき見え隠れして。
コンコンとつっついてのけぞるときに、頭が見えちゃうのだ。
音の主はコゲラでした。
あさ早くから働いて、、でも7時ころにはもうおしまい。
すごい朝型だなー
今日は来なかった。
キツツキが目覚めさせてくれる朝なんて。
一日の始まりを素直によろこべる。
この二日、ありがとね。また来てよ、きつつきクン。
(写真は撮れませんでした)
そのかわり・・なんともかわいいむっちりイモムシくんがいた。 xusa
- 2008/07/23(水) 00:38:11|
- 季節の草虫
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19日、ぴろろと。
一本植えの稲はのびのびと扇をひろげつつあります。
おたまじゃくしからカエルになりたての子。

夜、みさちゃんが半裸でおどっていた、「ほ、ほ、ほーたる」と。
たばこをくわえて、自分もほたる気分。
ヘイケボタルがちらほらと。 musi
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しっぽつけたまま、新しい世界にたたずむ子ガエル。
無事おおきくなあれ。
田んぼ、なかなか行けなくてざんねん・・
やさしい緑。一本植えの稲。
いい感じで育ってるね。 xusa
- 2008/07/20(日) 22:28:49|
- 田んぼ
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山裾の自宅から、ころがるように駆けおりれば海は5分なのに
昼間なかなか行けなかった。
夜はよく行くのに・・
きょうやっと夕暮れに泳いで今年の海開き。
ラッコのようにぷかぷか浮かんでのんびり雲を見る。
陸を見る。
沖からモコモコに生い茂る山の木々を見る。
浮かびながら身体をつかって海水をかきまぜたりして遊ぶ。。(ふふ)
見守ってくれてるのは上空のトンビと
御用邸見張りのおまわりさん・・!
あ~~~でもやっぱりいいなあ~
生き返りました!
明日は朝から泳ごう
それにしてももっと水がきれいだといいのにな。
こういうものを作りました。
なかまの海の家に貼ってもらっています。 xusa

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ちょうどその日、わたしは何年ぶりかのプールに。
うちからは3分くらい。これが海だったらなあ。。。
でも、塩素臭もなんのその、水にはいるのはすごーく気持ちよかった。
これも友人が水着と帽子をくれたから。たまたま私が、このごろではパンツが長めのがあって、そういうのなら着てもはずかしくないかなあ、とぽつりといったら、眠っていたらしい水着(ほぼ新品)をゆずってくれたのです。本格的に泳いでいるこの友人とは陶芸家の井山三希子さん。
最近本を出されました。誠実な彼女の声がきこえてくる良書
「作ること、暮らすこと」(産業編集センター)。これを読むと、どんなモノでも、けっきょくは手にとる人しだいなのだなあと、と思います。現代美術でも日用品でも境目なんてないのだなあ、と。
井山さんはモノが好きだといい、私はできれば少ないモノで暮らしたい希望があって、表面的には違うようなのだけど、共感するところがとてもあるし、なんていうか、彼女には一目おいてます。
そういえばこの本をよんだあと、しばらくほっておいた白いズックをごしごし洗って、さっぱりとした。
↓夕食とスイミングのページ。すだちそば。 musi

- 2008/07/15(火) 21:52:40|
- 自然環境
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波頭にHawaiiの神の顔・・昨夜は近所の一色海岸の海の家ブルームーンで佐藤傳次郎さんのフィルムショウがあった。
友人のユカリシャスやKAZZもライブで参加。
佐藤傳次郎さんはサーファーを撮り続けているカメラマン。
上の写真は代表作。画質が粗くなってしまったけど、波頭にハワイの神様の顔が見える、と言われている。いるでしょ!
30数分のフィルムはジェリー・ロペスをはじめとするサーファーたちがbig waveに乗るさまをひたすら撮り続ける、めくるめく波と人の世界。。
ただ波に乗る。それを見ているだけで、こんなに心揺さぶられるとは・・
本人たちはどんな世界にいるのだろうか。
サーフィンというものは永らく自分の中に意識されないものだった。
もちろん今でもやっているわけではないけど、
人の気配のなくなった夕やけ時、海に出てひとりぷかぷか浮いているときなんか、
身をゆだねている、この途方もなく膨大な海の水との直の繋がりに、自分の意識の許容量を超える底知れない気分におそわれることがある。
自分だけど自分でない。すべての生命体と交じり合う境のない感覚。。
しだいにサーファーに興味を持った。
彼らは物質界と自然界が交じり合う先端のラインに乗り続けることでさぞかし超自然的な、
あやうく意識の淵から落っこちそうな体験をしているだろう。
わたしの場合、ひとりで山道のなか草を刈りに行く時にまわりの木々や草虫に迎え入れてもらい、種のボーダーがはずれるような感覚が訪れることがあって、
周囲の自然と自分との同一感に至福の瞬間を味わうことが、ひと夏に何度かあるのだけれども、サーフィンも同じなんだと思う。
海というモノ凄いエネルギーとの合一はサーファーのなかにどのような意識を呼び起こすのだろう。
山道の草との静かな交感とは異質な、ダイナミックで強烈な体感。根幹は同じだろうけど。
こんど話しを聞いてみたいな。
ただひたすら波とたわむれるサーファー。
ただ、ただ草とたわむれてきた私。
生まれ変わったらサーファーになりたい、とこの数年おもっている。
と言ったら傳次郎さんは、いまからでも!と。
70過ぎてから始めた人もいるそうだ。。。!
*
夏の葉山ではxusaはブルームーンかオアシスにいます。。
オアシスでは今年も
スケジュールに草虫こよみを使って(ちょっとラフに。笑)くれてます。
xusa
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波のりは究極のラインなんだろうね。あいては、だって、波、なんだもの。
70過ぎではじめた人かあ、写真家のレニもそんな年でダイビングはじめたんでなかったっけ。
xusaならできそう。わたしはうまれかわってからにしよう、くらげになるかな。
ああ、オアシスの暦にhouちゃんの名が!
彼女のふるさと宮崎もサーファーがたくさんいるね。
夏の終わりはまた葉山であえますように、またおどれますように。 musi
- 2008/07/14(月) 11:22:37|
- 自然環境
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7/1日は七十二候の「半夏生ず」でした。この日から数日は天から毒気が降りるそうです。昔はこの日までに田植えを終わらせるともいわれたとか。
ちょうど梅雨の後半に入る時期、疲れがたまっているから、体をやすめたほうがいいのでしょう。田植えを終えて温泉に行く人もいたようです。
去年「この時期には肉体労働はつつしもう」と思っていたのにすっかり忘れていました。おろかなことにちょうど7/1に草刈りや土仕事。この日しかいけないからがんばっちゃって、けっこうしんどくなりました。来年こそはこの時期は体をやすめるようにしよう。
田植えは6/21.22にみんなで終えていました。
ほたる休みしましょ。 musi

- 2008/07/04(金) 22:13:59|
- 七十二候
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