
『地球のしごと』展をみてきた。(神奈川県立 生命の星・地球博物館)
葉山の美術館に置いてあったチラシを見て、心奪われて。
写真の石は迷子石というのですって。
どのように動いたかは誰もわからない。
短い時間でここまで来たのか、長い年月で動いたのか、それもわからない。
目撃した人がいない。
・・と、たまたま会場にいた、撮影した
ご本人にいろいろと説明していただくことができた。
世界あっちこっちの地質、岩石の話を伺えて興味深かった。
つねづね、人の存在が自然環境や他の生命を大きく傷つけている、
人なんか居ないほうがみんなのため、と思うことが多いけれど
こうした、地球が自らの表面、岩石・土・砂などに刻んできた痕跡を
各地をわたって見比べたり
この星が見せてくれる美しさに心動かされ、調べ、記録し、つたえていく・・
それができるのも、また人類。
この星を愛でる眼差しをもった唯一の存在。
地球はまだまだダイナミックに生きている。
今も止めどなく流れ出ては固まっている溶岩の写真を見て、
共にいた友が、血だね、と言った。
皮膚の切れ目から流れる血はしばらくすると端から凝固する。
大地の割れ目からどくどくとあふれ、さまざまな鉱物を地表におくりこむ溶岩は地球の血。
放射能や化学物質におおわれた外界にまた新鮮な地球の体液がおくりこまれる。
でもその地下深くにも汚染物質は埋められているんだったな。
地球がしごとを終える頃、この世界はどのような姿なのだろう。
確実に来る、途方もない先の未来に思いをめぐらすと
ただ、今、みんなが居ることがそれだけでいとしい。
地球のしごと、その仕上げを見届ける存在は、いったい誰なのかしらん。 xusa
- 2009/02/23(月) 10:15:15|
- 自然環境
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先週の春一番の風のあと
葉山の海では沖にはサーファー、浜にはワカメ拾いの人
春風に身も心もあおられて
海に用のある面々には忙しい日々だった。
xusaもこの3日間はまいにち海へワカメ漁~
いつもは陸の草のハントだけど、このたびは海の草狩り。
波に揺られながら、流れ着く獲物をおうハンティング気分。
ほとんどがカジメなど他の海草。
でっかいメカブをつけたワカメをたぐり寄せ手にしたときの充ちた心地、
にまにま・・タノシーイ。
すっかりはまってしまった。
*天然のワカメは浜に打ち上げられたものはだれでも獲っていいことになっています。偶然の授かり物を拾い上げる、
それだけなのに
それだけだから
無性に楽しくてやめられない。
やっぱり好きなんだな、こういう行為。
本業とおなじく、栽培ものでなく。
あてのない、天にまかせた採集文化。・・最終文化か。。
・・もあるけど、なによりかによりこの天然のメカブと茎をとにかく食べたい。
食べたいから獲る
今ほとんど中毒状態。
私にはこんなにおいしいものはなかなかない。
いつも出遅れて午後、人がひけたころ、シロウさんの浜にいく。
シロウさんは葉山のステキな長老漁師、ほんとうに大切なことを知っているひと。
胸まである長靴を借りてずぶずぶ海にはいり
シロウさん手づくりの竿でワカメをひっかけて・・
調子にのって毎日ずぶぬれ。
びしょびしょの私を乾かすために浜で焚き火をしてくれるシロウさん
スミマセン。
手づくりワカメ捕獲竿 勇姿なんていい時間なんだ。
人生はこういうことだけでいいんではないかしらん、と思える最近の葉山、
身土不二のxusaの日々かな。 草記
ワカメ屋敷 

- 2009/02/16(月) 20:55:54|
- 海辺の生活
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ロマンチックな知人がつくってくれた「tints of spring」というCDにAnn Sallyの蘇州夜曲がはいっていました。祖母がよく歌っていたのですが、今朝、ぼんやりきいていて「もしかして」と気がつきました。
前に祖母と電話で話していたときに、中国から一時帰国するのに船にのったとき、船員さんとすごく親しくなってまわりがはらはらしたというのを聞きました。すてきな人だったらしいですが、まだ赤ちゃんだった母がいたので、誘いにはおおじなかった、そう。南の方にいくといっていたから、戦争でどうなったかねえ、と。
母は昭和15年生れだから、ちょうど蘇州夜曲のころ。
単なる想像だけど、歌いながら思い出していたのかしら。船旅の恋って。
この曲が入ったCDを90才になったおばあちゃんにあげたいな。musi
- 2009/02/15(日) 10:14:16|
- 草虫恋噺
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立春すぎて旧暦小正月の満月竹どんとも終わり、もう春です。
木へんに春は椿。
このところ椿のことばかり思っている。
こんなにおもえるってしあわせだ。
秦野にいくと椿をただ眺めたりして。
ついに(というのもなんですが)椿姫まで読んだ。
タイトルは知っていたけど、読む気なんてさらさらなかった。
しかし一気に読みました。若気の至りが痛いほどわかるお話ですね。
そして娼婦という存在。。。
こういうの読むと夢にまで出てくる。飲み込まれやすい体質なんだな。
ともあれ椿、
驚かされっぱなしです。
実はそんなに好きな花ではなかったから。みんなはどうだろうか。
いろんな植物にあうたびに、この植物がいなかったら私たちどうなっていたんだろう!
と驚く。驚きやすい体質なのか。ほれっぽいのか。
いやいや、みんなそれぞれにかけがえのない存在で、あたりまえのことなんだろうけど、そのかけがえのなさは驚き。
道ばたのあまり顧みられない草にもかけがえのないなにかがある。
そういう点では椿はエリートっぽい。なんせ葉も花も目立つし、実も葉の灰も人間には実用になる。
去年つくった椿餅(花がまだだったのでサザンカを添えました、似ているけど、花びらの形や香りが違うんですね)
椿の会をIIDでやります。次号のスピナッツのために椿の記事を書いてます。
- 2009/02/11(水) 15:59:17|
- 季節の草虫
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火と竹の日
旧暦の新年15日まんげつ
田んぼのそこここに 竹ティピをたてて 火をつけて 眠る田んぼに灰をかえして スッキリせいせい 青竹のどんと
・・と、おやつ! xusa

去年の満月左義長
http://xusamusi.blog121.fc2.com/blog-entry-23.html
- 2009/02/10(火) 23:23:15|
- 季節の行事
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きのう、ヨモギウエハラのmusi宅の5件程さきの民家が壊されようとしていた。前におじいさんとおばあさんが足元に気をつけながら出入りしているのを見ていたから、そのお二人に何かあったに違いない。もうどちらかは先に亡くなっていたのかもしれない。都会では近所でだれが亡くなってもわからないの。
そのお宅の横を通る時、夏には垣根の一部にしていたテイカカズラの花を楽しませてもらっていた。いまはちょうどその庭の中程にある寒紅梅の季節。まわりの生垣がとられた分だけきのうはそのお庭がよく見えた。工事をしているというのに小鳥がピンクの花の蜜をしきりに吸っていた。この木、残るといいなと祈った。
今朝、書斎で仕事をしていたら窓から、小鳥が一羽、うちのマユミにとまりにきているのが見えて、きのうの小鳥を思い出した。午後、その家の横を通ったら、寒紅梅はあっさり倒されていて、こわされたブロック塀の隙間から伐られた幹の断面が赤々と。しばらくそこに立ちすくんで、どうしようもない自分に情けなくなって歩いた。用事を終えたあと、躊躇したけど、その家によって、さっきより広がったブロック塀の間をくぐって中に入って、業者さんに声をかけた。縁側のあるいいお家。庭には漬物石みたいな石で縁取りした花壇があって、その真中に寒紅梅の切り株。幹と花を少しわけてもらうことにした。
でも幹があまりに大きくてその男の人も運べないから小さくチェーンソーできってもらった。
梅と同じようにオレンジっぽい断面になっていたのに、きられたばかりのは紫だったの! 飛び散るおがくずが血がしたたるような紫色。こんなのはじめて。
その人はちっともその光景に驚かなかったけど、親切にうちまで木を運んでくれた。
「重たいッスよー、気をつけてくださいね」なんていって。
もらったからってどうなるわけでもないけど、うちにきた。
時間がたつと紫はオレンジにかわっていく。
秦野雑草園にも寒紅梅がある。のびのびと高く育っている。同じ木なのに、運命の違い。そこらじゅうにこんなことがあるよね。
都会では個々のお家の庭がかけがえのない場所になっている。小鳥も虫も草々もそこにいます。 musi
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今日はこちらでもまたあらたに。
葉山のうちの3軒さきの趣のある古屋が解体され、立派な庭木がズタズタに伐られていたよ。
これから咲こうとツボミをいっぱいつけてた大島桜も倒されていた。
なんかね。。
たまらないな。 xusa
- 2009/02/05(木) 22:00:52|
- 自然環境
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こみちがなくなってしまった
緑のトンネルを抜けて家に帰るのがしあわせだったな。
この木々があったからこの家に住んでいたかもしれない。
道はぼこぼこで自転車だとヨロヨロするのだけど。たのしかった。
この数年葉山を席捲する開発の波。
住宅地に残っていた最後の広大な緑地帯もあっけなく消えてしまった。。
もちろん人の土地なのでなにもいう権利はないけれど
住宅地にこうした景観があるということは町全体の魅力だし、町の財産なのではないんだろうか。
「葉山のこみち」にも出ているお散歩コース。
残していきたい風景だったな。
すくなくともこれだけの規模であれば、
そこの土地の特性を活かした趣のある開発を探って欲しかったと思う。
そのほうが買う人にとってもわくわくするのではないかしらん。
業者のご協力で救える木は掘り上げさせてもらって、
移植先を探したり、
木の里親探しをしたり。
でも大きな木は無理だったこと、時季が真夏だったことで救い出せたのは小さな潅木系のものだけ、
ほんとにわずか。
何百本の立派な木々たちは真っ二つに伐られ、クレーンですっぽ抜かれて山積みになった。
外猫たちの憩いの場、鳥たちの営巣地、リスの遊び場、
虫や小動物や草や木だけのサンクチュアリ。
人間の世界ではないところ。
いまから思うとすぐ隣にそんな聖なる場所が永年あってくれたことは奇跡だったんだ。
心地よい緑陰を供してくれてたたくさんの木々たち、
季節ごとにさえずりを披露してくれた鳥たち、
ほんとうにありがとう。
忘れない。
守れなくてごめんなさい。
ここはいま斜面をならして造成中。
いつも来ていた鳥たち、とまどうだろうな。
こんなスタイルの宅地開発って・・まったくもってオクレテル。
センスわるすぎ
xusa


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いい道だったのにね。こういうことたくさんあるんでしょう。
自分の存在もつらくなるね。人間なんていないほうがいいんだって思っちゃうね。
風になりたい、鳥になりたい。 musi
- 2009/02/04(水) 11:26:22|
- 自然環境
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