五日前にこんなふうにクルミを抜いて、よもぎうえはらにもっていったのだった。
いま、ちょうど、去年のクルミから出たばかりの芽が、イノチのみなもとだったクルミの殻から離れるところ。ちょっと前までは抜けば全部にクルミがついていたのに、五日前では、外れてしまうもののほうが多かった。
ふたつだけ奥手の子たちをhakoにつれてきて、みんなに見てもらった。


育ててもらった殻さえはずしていく。はずさないと根がのびないから。そして他のものたちと一緒に生きる。守ってくれたありがたさ。離れる悲しさ。育つ喜び。そしてまたかえってゆく、
ちりぢりになって、みち ゆき ゆく。 musi
- 2011/05/31(火) 17:59:52|
- 季節の草虫
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先の春分前後に予定していた
えみおわすの春市が延期になって、初夏の候となりました。
5月26日(木)から30日(月) 11:00から19:00
musiは近所のよしみで、まかないごはんのおばさんとしてお手伝い。
季節のものを、と思いますが、手放しで「どうぞどうぞ」というわけにもいかず、3月前に収穫した保存ものを中心に出します。摘み草料理はオプションで。
こんなふうに考えると、けっこう保存食があります。
実は、わりと温暖な秦野では食べる物が年中あるので、無理して保存食はつくらなくてもいいな、と思い始めていたのですが、こういうことがあると、何かのために備えておく食べ物の重要性が身にしみます。
長く生きた人が「何かあったら」と言い伝えてきたことに、はたと気づくのでした。冷蔵庫もなしでね。
ともあれ、くすっと笑える「まかないクスクス草ごはん」だよ。 musi
例1 小鳥のようについばむ「ポップコメ」、とべることまちがいなし?

- 2011/05/23(月) 11:15:23|
- 季節のしごと
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昨夜は満月
あいにくのお天気で見れないまま寝てしまったが、
夜中の3時過ぎ、猫に起こされ、せがまれて
窓を開けてやりながら、そうだ、満月どうなったかと外を見ると
海に煌々と輝く月
雨は止んでしん、と静かな海
水面に映る月の道
おもわず息を呑み、おもわず外へ出た
濃密な忍冬(すいかずら)の匂いが庭に充ちている
昼間よりこんなに強い香りを発していたんだ

先月もそうだったな、満月の日は猫もそわそわ。
そのおかげで意外な時間帯での月の姿に震撼とすることになる
天体の運行は厳然と静かに、超高速スピードで、ただ営まれている
人はほんのわずかな一生でそれを垣間見、畏れ、その不可思議さに我を忘れ、解明することなくその生を終えていくんだ
用が終わってまた帰ってきた猫に窓をあけてやりながら見た暁は薄明かりに包まれやさしかった

十五夜の
小猫導く
海ぬ月道
ありがとね
xusa
- 2011/05/18(水) 12:00:59|
- 海辺の生活
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満月を二夜先にひかえた夜、体を思う存分動かしただるさと体がひらく心地よさ。
丸二日間ただただ土の上、草の中にいたのだ。
この春は種まきなど遅れ、それは6年つづけたことを(震災のためでなく)変えようとしたこともあったから、でもどうもやる気がわきおこらず、しかし種だけはいつもより衝動的に多く買ってしまって、なんだかめちゃくちゃな状態だった。(ビーツのタネなど買ってしまっていったいどうするの? ルバーブと同じはめになりそうなのに。。)
このまえ会った人が「春になって体がひらいていくのに今年は固くなっている人が多い」といっていた。自分も心当たりがある。気持ちを穏やかに集中して、体をゆるめることができなくなっていた。気が散っていくのだ。
それがおとといほぐれて、少し春になった。こんな感覚はじめてだ。いかに恵まれていて、いや鈍かったか。
みなさんはどうですか。musi
チヂコマッテイタ、シダヒラクヒカル。

- 2011/05/17(火) 12:17:57|
- 七十二候
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やっと引っ越しと葉山芸術祭が終わり、ようやく一段落。
連日、あたらしい家には千客万来だった。
朝から深夜まで大勢の人たちの出入りでひしめく家となり、
多くの友人たちから素晴らしくて魔法のようなギフトをいただいた。
それは
なによりまず引っ越しの労、
駆けつけて、文字どおり力を貸してくださった方々ほんとにありがとうございます。
そして
この家から私へのメッセージを聴きとってくださった神人(かみんちゅ)
このあたらしい始まりを祝って八重山の歌を三線で歌ってくださった白保の歌者
家具をもっていない私のためにテーブルの脚やイスををつくってくださったひと
自分からここに来たいと言ったという宮古島の大きなサンゴ石
まだほかにもいっぱいステキなこころのおくりものをいただいた。
たくさんコトの集まりの場所
ひらかれたところ
誰のものでもない家
きょうは、しとしと雨で一日家のなか
いつになく甘えてくるうちの小猫のヒナと見つめあっていたら、その瞳のなかに
この津波で呑まれていった、たくさんのいとおしい猫や犬、子牛たち、ペットたち、家畜たち、野生のいきものたちを感じ、人たちの命を思い、
涙がとめどなくあふれてとまらなくなった。
逝ってしまったたくさんの魂たち。。
ちょうどあの震災から2ヶ月だったんだ。
津波の被害だけでも耐え難いのに
放射能に今も苦しむ多くの人、動物、傷ついた自然、、
それらを心に留め
そして
原発だけは永久にこれは止めなくてはなりません。
xusa
子猫のころのヒナ
- 2011/05/11(水) 23:06:01|
- 七十二候
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新居は山のなか海のまえやっと引っ越しがおわった。
前の家の引き渡しが一昨日済んで、ホッとしたら、ちょっとダウンしてしまった。
あまりにも膨大なものを抱えていた。
その整理は荷物の整理というよりは、心の整理のほうが大きくなっていき、短期間でそれを行うことは、ほんとうに苦しいことだった。
この一ヶ月ちょっと、とにかくそれに向き合って、前に進むしかないスケジュールに自分のチャンネルをなかなか合わせることができず、時に心が固まり、号泣し、混乱しながら。
自分の持つすべての物体と直面する、引っ越しって、しまい込んでいたすべてと向き合うことだった。
この葉山の家で初めて作家生活を始めた。
草と交わり、織り機に向かい合い、トントンと布を織った、草たちとのめくるめく自然界の日々、
恋人と過ごし、別れ、母や父の臨終の知らせをこの家で受け、絶望を抱えて駆けつけ、戻って次の暮らしを手探りした人間界の日々。
いとおしいことやものたち。
庭の 木や 草や 野菜たち。
それらすべての精算。
時間がかかったなあ
ひとり、長い旅をしているようだった。
いろいろなものたちとの決別。
まだ持ち越してしまったものがあるとはいえ、
とにかく、おわったのだ。
すべてloading済み。
隅々までが洗い出される。引っ越しの醍醐味。
やっと次が踏み出せる。
この5年の猶予期間の終わりはこういう形で来たんだね。
その間、長かったー。
この家が突然用意されて、モノゴトはとつぜんに始まる。

・・というか、すでにとっくに始まっていたのです。
今この家では先週から友人の写真展をやっています。
まだ私の引っ越しが終わるまえからね。
恒例の葉山芸術祭、
写真家でサーファーの池田徹さんの風通しのよい作品展。
この家によくあった空気感の一コマ一コマたち。


今回の引っ越しでは周りのみんなに助けてもらい、支えてもらった。
ほんとうに泣きそうにありがたかった。ありがとね。
目の前の海と、すぐ後ろの山の間
ダイレクトなエネルギーの渦のなかで、
この光の場所で、
この震災以後
次に私が紡ぎ、織りつないでいくものはなんだろう。
降って湧いたこの環境での暮らしから、自分はどんな変化をしていくだろう。
心身をここにゆだねることで、この地から受け取るものをかたちにしていく。
もちろん、いつもの、’なりゆきにおまかせ’、でね。
xusa
- 2011/05/03(火) 21:44:35|
- 海辺の生活
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