赤紫蘇梅酢は夏の色なんですね。
この夏をすぎて、秋のはじまりに、自分の身の上を重ねて、白い秋を意識する。
青い春のとき、自分は、ちっとも青春ということがわからず、
青春、青春っていうけど、青春ってなに? 今、青春?
と思ってすぎていった。青春を謳歌するって、わからなかった。
でも、
白い秋。白秋というと、著名な詩人の名ばかりを思って、それを払拭しかねるのだけど、
なんとかはずして、ただ、白い秋をイメージすると、
なるほど秋は白いのだ。
白秋は、わたしには現在進行形でリアル。
さらに、更年期、ということば、うまくいいあらわしたものだと感心する。
ほんとうに、まっさらに何かかわるのだから。
自然の姿と自分の身を重ねる術。
常夏の風土の人はどういうふうに、自分の変化を重ねるのか興味のあるところだけど、
ひとまず、四季か五季のある風土では、その季節の変化に、人間の一生の変化をなぞらえる。
だから中国の文化が日本にも影響し、遠方でも季節のある西洋の文化なら強く影響するんだろう。
身体心理状態が季節に沿い、わたしはこの秋に自分を、
そしてこれからくる冬に老いた人を重ねる。
変化は黄色(金)だ。
今年の夏は、赤い夏に無沙汰の限りをつくした親のもとにせっせと通った。
まるでこうなることが定めのようで。
musi
- 2015/08/26(水) 14:59:14|
- からだとこころ
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先日、海辺での暦会議を行いました。
懸念していた楮入り紙の価格も据え置きとなり、2016版も、前年同様の価格と仕様でできるようになりました。
楮の価格が高騰していて、ところによると二倍だそうです。
タイで楮をつくらなくなってきていることが原因といわれていますが、この高騰によって、日本の楮の生産が増えるかもしれませんね。
11年目の草暦、xusaの絵はどうなるかしら。なにやらすてきになりそうですよ。
乞うご期待!
- 2015/08/20(木) 11:00:13|
- 草暦
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ヨモギ上原のmusiんちのお庭は日陰の庭です。前にもなんどか書いているけど、shade garden。ただし内縁(うちえん)には日が射すので、夏はよしずを下げています。
今朝、藍染めのガーゼが透けて、あんまりにきれいなので、写真を撮りましたが、目でみたのとはぜんぜん違う。
遠景にあるプルンパーゴのブルーと響きあっていたのに。

青は、夏の終わりにしみじみ目に映る。
それはきっと夕方の青にも通じるのかも。あるいは青は、死、とか、生まれる前、とかと関係あるからかも。
青い光、青嵐。闇と光のあわい。
ともかく、盛夏! よりも、少し夏が去りそうなころにしみじみする。
そのせいか、青い花は夏真っ盛りは少しお休みして、立秋過ぎにいきいきするのが多い。あさがおも秋の七種のひとつだし。
さて、去年、縁側の工事をして、瓶を移動して、樋とつなげたら、とっても調子いいです。
(水があふれて家のほうにいかないように少しかたむている)
庭にあった水道は水やりには使わなくなったし、これまで夏場は台所で使った洗い水を植木鉢の子たちにあげていたのが、瓶の水でほぼことたりるので、労力が減りました。
雨水タンクほどのたいそうなものでなく、瓶をおけばいいだけなので、設置も樋をなおすのも簡単ですから、おすすめです。
ぼうふらがわくのがたまにきずだけど、毎朝、このぼうふらをすくって、メダカにあげています。
日陰の、蒸し暑い庭(常識的には最悪の庭といわれますが。。)ではこんにゃくがよく育ちます。今年は、水瓶のそばに植えた子が立派です。
写真の奥右。

渋谷区、こんにゃくの産地になれる可能性あり。
musi
- 2015/08/20(木) 00:32:06|
- 自然環境
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「そりゃあ、お金もかかるし、家にいたいんだけど、息子たちが、心配だっていうからさ、行ってるよ。心配させたくないからねえ」
おばさんは週のうち、4泊5日で介護老人施設に泊まっている。
でもそうとう元気なので、施設では洗濯物をたたむ手伝いをしているそうで
「ゆきさんには、お給料払わなくちゃ、っていわれるけど、わたしそんなのいらないの。だって自分のためにしているんだから。なんにもしないとぼけちゃうからねー」
こんな元気なゆきさんだけど、おじさんが亡くなって、しばらく息子さんとこにいってらして、帰ってきたばっかりのときは、よたよたで、頭ももうろうとしてらして。
家人と、おばさんももうすぐいっちゃうんではなかろうか、と話したくらい。
それが、家にいて外に出てるうちに、みるみる復活して。
そしてしばらくして、家族のすすめで、ホーム暮らしをするようになって、わたしは少し心配していたけど、
暮らしのリズムをご自分でしっかりつかんでいる。
(孝行息子が、親を家に呼んで、老いをすすめたって話はよくあるそう)
一度、ご両親のことを聞いたら、
「里の親が具合悪くなってね、お金がないから、バスになんてのれないからよ、子どもをおぶったりして、歩いていったから、間にあわなかったよ。」
一時間近く歩いての里帰りだったそうです。
今日、久しぶりにゆきさんに会って、縁側でアイスキャンデーをいただきながら、お話を伺っていると、人生について、歴史について、社会のありようについて、現実として身にしみる。
土と生きてきた人の潔さに、まだまだ、まだまだ、わたしは及ばないけど、
学びの途中をあきらめない。
musi
- 2015/08/16(日) 22:49:03|
- 自然環境
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82歳になった父の具合が整わず、急に実家に帰ったり、と畑小屋になかなか行けないので、となりのゆきさん94歳に留守居の挨拶にいったときに、
「まだ若いのにねえ。。。
お母さんもたいへんだろうけどね、いっしょにいられるってのはいいもんだよ、
若い時はけんかしたけどね、それは若いからで、
年取れば取るほど、夫婦は助け合っていくよ。
わたしもね、おじいちゃんの世話が疲れるなあって思ったときもあったけど、いないとさみしいよ。
いまも、さみしいよ。」
っていって、わたしがもっていったトゥルシーのお花と、菓子折りを、仏壇にもってって、チンと鳴らして
「おじいちゃん、石田さんからいただいたよ」って話しかけた。
「わたしも、息子が(横浜在住)こいこいっていって、おじいちゃんが亡くなったころにいったけど、都会は冷たいねえ。三ヶ月いたけど隣の人にもあわなったよ。それによ、都会は道であったら、挨拶どころか、顔をそむけるじゃないよ。ここだったら、今朝も○○ちゃんが道を通って、わたしがこっちにいたら、遠くったって、挨拶するよね」
「おかあさん、こっちにこられたらいいよ、
ここはね、おしゃれなんかはできないけど、あたしゃ、おしゃれなんてしなくったっていいんだけど、
食べるものはそこらにつくっとけて、不自由しないよー」
ゆきさんは正直ですてき。
この日、「ナス、もってかない? 息子が固いっていって食べないけど、お宅、煮たら食べられるよ」って。
いつも息子がもってかなかったから、ってわたしにくれる。
musi
- 2015/08/12(水) 22:52:28|
- 自然環境
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xusaとたんぼをはじめたとき、それは草暦のはじめたてでもありました。
xusaの母が、季節の物候をメモにしてくれたのはその前の年だったかな。
初夏に田んぼの代掻きをしたあとに
「ひとりはバイクで旅へ、ひとりは母の看護に、、、ってなんだかいいね」と xusaがいったこと、わたしは「いいね」っていうのがよくわからなかったのだけど、今はわかるような気がする。
シュレーゲルアオガエルの声がきこえてきたら、手を(足も!)休めて、あんまりいい音色なもんで、xusaは録音していました。
今、新刊本のために写真をいろいろ探していたら、10年ほどまえの写真がでてきました。
一眼レフのフィルムだわ。

二児の父になった相馬さんは、いまでは自前の田んぼをしているそう。
すべては変わって進んでいく。生まれて消えて、もぐってか、とんでか、また生まれ。
あのときの泥の中の虫たちも。
musi
- 2015/08/05(水) 18:45:16|
- 季節のしごと
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草も
海も
すぐそばにあってくれて、
いつでもコンタクトできるのに
私にとってのそれぞれの旬は実はとても短く、
しかも同時季でもあるということに気がつきました。
この何年も、夏は海を優先していたのですが、
草にフォーカスすると実は旬が同じ。
これはなやましいことです。
海もお盆前のほうがクラゲも少なく、なにか清らか。
そして、朝早い方がだんぜん気持ちよい。
草もそれは同じで、お盆過ぎるともうトウ立ちして繊維も固くなります。
そしてやっぱり朝一番に取りたい。
*
草と海は私にとって
とても大事な要素です。
海に身を浸すことのかけがえのなさを知ってからは
夏はできるだけ海に潜っています。
泳ぐというよりは、
浮かんでいたり、海底を歩いてみたり、でんぐり返ってみたり。
身も心もすっかり新鮮になって、
からっぽに抜けて・・
海のそばに20数年住んでいたのに、
海と深く交わり始めたのは、この10年。
草の布を織ることを休止してからです。
作家時代は、夏はひたすらの草刈りと糸つくり。
ひと夏で一年分の糸の収穫をするので、くる日もくる日も草刈りでした。
炎天下、過酷な体力仕事、よくやってました。
でもそれは他に例えようのない、素晴らしい抜け感
自然との深いコンタクト
身体ぜんぶを使った労働によって、
草の奥に広がる、その向こうの世界をかいま見る・・
それは10年前に突然休止されました。
母の他界によって、チャンネルが変わったかのように
それに向き合えなくなってしまいました。
そして私は海に出逢いました。
潜ってみると、
そこには「草の向こう」と同じものがある、
そう感じました。
地上とは質の違う、
そして圧倒的にダイナミック、
でもおなじもの。
それからは夏は草より海・・
*
今朝、久しぶりに苧麻刈りに出かけました。
野の苧麻は常に刈られる存在、
ねらっていた近所の駐車場の隅に群生していた苧麻は
夏のはじめにあっという間に刈られてなくなってしまったのですが、
それから一ヶ月、
うまい具合に2番芽が伸び盛ってくれました。
背丈ほどある、重い草の茎を何十kg、背負って山道を歩いてもどりました。
真夏の汗だくの労働
でもこの草はこれから糸になってくれるのです。
深いところから、フツフツと湧くような歓びがあります。
私にとっては海も同じようなよろこびの源泉です。
朝
草を刈り
夕
海に入る
明日
草をおしえてくれ、
海に向かわせてくれた
母の10回目の命日
今年も暑い夏です。
xusa
- 2015/08/05(水) 13:32:03|
- 徒然
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