
ご縁の深い友人のJくんが、葉山から四国阿波の国に移って次なる暮らしをはじめた。
その
物語のようないきさつは以前にも書いたとおり、
ここに至る必然の顛末が、彼の行く手には本人が思うより先に次々と用意され、この美馬の地に落ち着くことになったのである。
ホントにフシギとワクワクの連続だった。
移住まえの下見を兼ねた初めての阿波の旅から、引っ越し、そして今回、と
私もなんの因果か、この数ヶ月で3回も阿波に来てしまっている。
今回の旅はなぜか剣山がテーマになっていた。
ソロモンの秘宝、失われたアークが剣山に眠っている、という話はもう20年も前から聞いていた。
その一端に分け入ってみようか、と冗談半分、夏休み気分のワクワクモードで、
Jくんの新しい生活を拝見がてら葉山の友人と阿波入り。
今回訪ねた数多くの神社や剣山周辺、美馬から一宇にかけては、そこここになにげなく、
当たり前のように巨樹がある。

そしてその一帯は忌部の里。
どこを訪ねてもどこかしらに忌部の痕跡。
阿波忌部氏とはなにか、
関わると底知れぬ古代日本の、今は消滅した数々のことに行き当たるだろう。
私には詳しいことはわからないが、なにか今のこの時代、この時期にとても惹かれる思いがする。
失われたアークは、それ自体に意味があるというより、
それを取り巻く忌部の歴史が、この時代に必要とされ、何かの鍵として再浮上していくのではないか、
それを象徴するものとして、アークの話があるようにさえ思える。
苔むした長い階段の上にナゾの遺跡。イスラエル大使も何度か訪れているそう。阿波が倭の国、すなわち大和朝廷だったという説もある。
忌部氏とはケガレを忌み、神事などに奉仕する。
古来より宮廷祭祀における、祭具の製造・神殿宮殿造営に関わってきた一族。
今でも天皇即位の大嘗祭には、ここ阿波忌部、剣の山里で大麻を栽培し、麁服(あらたえ)を織り献上しているそうだ。
剣山への道はひたすら細かいカーブが延々と続く山道。
穴吹川と貞光川沿いに剣山をそれぞれ2日にわたって訪れた。
河原の巨石の多さと大きさに驚く。
鬼か天狗がころがしたんだろう、と思えるほど。
スケール感がおかしくなる。

河原の石も一つ一つ個性的で味わい深いものばかり。
滝もかなり強い気配を発して近づくのがためらわれる。


しだいに標高も高く、かなり登ったところ、いきなりに集落がひらける。
ブータンやチベットのような景色だ。
こんな奥地の、市街からはるか離れたところにひっそりと人の暮らしがあり、小学校まである。
今も忌部の末裔の方たちが営々としてその暮らしを守っている尊さ。
雲湧く山の中の暮らしは居住まい正しく、端正だ。

ふと通り掛かりにコエグロを見かける。
農耕の祖ともいわれる忌部氏が今に伝える忌部有機農法の象徴。
このカヤを肥料として、また急峻な畑の土留めとして畑に還し続けてきたのだ。
山の民の幾世代もの尊い積み重ね。
次回はその畑をじっくり訪れ、お話を聞かせていただきたいと思いながら山を下る。
コエグロ。茅を積み重ねている。最終日には空海がサトリを開いたという大滝山を訪れる。
空海も忌部氏と当然ながら関わりがあったという。
霧のなか、幽玄な森を彷徨い、空海の像のまえに行きつき、そばで倒れたままになっていた石柱をみんなで起こしてもとの位置に据えた、
途端、霧が晴れた・・
スイッチオン!
さきほどまでの神秘感は一気に薄れていき、健康的な山の清々しい空気に変わる。
空を見上げるとうっすらだが虹!
阿波最後の日は清涼感と祝福に包まれて、、

今回の阿波の旅は、忌部氏が伝えてきてくれたもの、こと、の中に、
千数百年後の私たちに確かに何か響くもの、
ひも解いていきたい衝動、
そんなものを感じた、発端の旅だった気がする。
それが何なのか、何に結びついていくのか、
この先がとてもたのしみなこと。
to be continued~!
*さいごに、
Jくんの家系が忌部氏の末裔であったことが昨日判明。本人もビックリ。
彼が何かに導かれるようにツルツルと阿波への移住を決め、期せずして住まいとなった地が阿波忌部の本拠地であったこと、
この不思議な物語はさらに続いていきます。。xusa
- 2011/08/25(木) 23:05:36|
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