草虫こよみ xusa musi coyomi

:::::::::::::::くさ むし そら うみ つち ひかり

ALONE と ALL ONE



月の暦では新年はもうすこし先ですが、新暦では今日が元旦、
一年でこの日だけ、日頃のことがいっせいにOFFになり
ひとつの国全体が「祝」と「祈」となるという不思議な数日・・
とても良い気の流れに身が満たされています。
これは自分の心持ちからです。

年末はぎりぎりまで、車で熊野に行こうかという話があったのが、結局断念、
他へ行くにも出遅れて、静かに家に居ます。

そうしたらスイッチがはいった、
他のいろんなことをやめてみようか、と。
何も予定せず、移動せず、
年末年始の行事やお誘いなどすべてとりやめてみた、きのうと今日。
ゆったりとぽっかりと時間をはずした時の中、
ここ静かでおおらかな山懐に抱かれて
一日部屋の中までポカポカと照らしてくれるお日さまと、
枝を渡るリスと、たくさんの小鳥たち、
猫や植物たちと共に居て、
テレビもラジオもなく
人間界の正月の様子は伝わってこない、、

大きな安らぎが訪れました。
この家の立地ならでは、それが可能なことだったのだと遅ればせながら気がつきました。
ここは開かれてはいるけれど籠りの場にもなる。

この洗われたような元旦の日の清涼な空気感のなかで
部屋を清め、庭を清め、
ひとりただ居る。
身体のなかは、静かに、でも熱く、次から次へ湧き上がる至福の感覚に充たされています。
この感覚は風船のようにますます膨らんで身体の隙間を埋めていく。
心の隙間もね。
こんな素晴らしいお正月があったのか、と少し高揚しています。

お正月だけは必ず父母と過ごしていました。
それは大人になっても。
長い長い年月の大いなる甘えの一つではありますが。
家族への愛に満ちた母のお節料理やお雑煮、質素であるからこその慈味深い料理の数々とともにあった元旦。
母の手料理はいつも素晴らしく奥深い心からの営みでした。
それらを数年前に突然失ってしまってから、
それまでの幸せなお正月への追慕に、毎年何か彷徨う感覚を払拭できませんでした。
いい年をして情けないことに。
その空白を埋めるため、なにかしなければと駆られ、この時季ジタバタしていたのです。

この数年、お正月という節目のときに、大切な家族がいないという欠落感には正直まいっていました。
ふだんは全く自立しているのに、この日にはぐらつく。
何をするということもなかったけれど、一年のはじめに親と祝福されたひとときを分かち合ってきた日。
友人でも埋められない何かがあって、この日は心は宙ぶらりん。。
それが、今回、予定が変更になったことで、おもいがけなく訪れたこの時間を心から受け入れてみたら
・・・スーパー解放感と安堵感!

何かがガサっとはがれ落ち、ほんとうに大切なことが現われてきた。
これまでのあれやこれやの、まぎらわしの影で、押しやられて見えなくなっていたもの。
それらがキラキラと表われ出てきた、そんな感じでしょうか。

やっとこの数年、正月ブルーの私を縛っていたものから、突き抜けて自由になれた気がします。
突然に。
時期が訪れたのですね。ようやっと。

この秋初めてといっていいくらい、体調を崩しました。
左上半身の激痛。
病院へは行かない私ですが、原因を知りたくて近所にある評判のホリスティックの医院に行きました。
診断結果は右脳の感情から起因している、と。
瞑想で治すという診断に。
医者曰く、あなたの潜在意識が自由をもとめているのに、顕在意識がそれに気づいていない、それが痛みとなっている、と。
それまでの私は最高に自由と思っていたので、お医者さんにそのこと伺うと、
”自由の範囲は人によって違う、あなたの今の自由の範囲は他の人からすると充分自由なのだけれど、
あなたのほんとの自由はこんなに大きい、(と、普通の自由の5倍くらいの図)
それにあなたは気づいていないので身体が反乱している”

充分に自由だと大きな勘違いしていた私でした。
お正月のことしかり、
まだまだ見えてないものはいくつもあるのでしょう。
それに気づかせてもらいました。
でも今回のように、少しずつ、一つずつ手放せるときが必ず来るのだと思います。
身体はその後、瞑想と鍼で治癒しました。

年頭に加島祥造さんの老子の本を読みました。
「知足者富」
すなわち
「自分が自由になること、それが富だ」
「自由になるということは自分の内なる声にしたがうこと、つまり隠されていた自分の能力をひきだすこと」
自分ひとりで密かに喜べるのは、その人が自分の深い能力に目覚めたとき、と。

そして、
一人、というALONEの語源はALL ONEから来ているということ。
「ひとりで居ること」と「全体」はひとつに繋がっている。

まさにそれを芯から実感できたお正月となりました。
バンザイ

2011年は他者への祈りに満ちた年でした。
どんな人も、何も手助けできなかった人も祈らずにいられなかったことでしょう。
今年この国では一度にたくさんの人の命が奪われてしまいました。
でも私たちは生きて行くのに、日々、膨大な数の動物たちや植物の命を奪っています。
そのことも、併せて祈りのなかに忘れてはならないことでしょう。

すべての命に愛と光が注がれますように。
たくさんの苦しむ命たちが少しでも和らぐ光の時を迎えることができますように。

年頭の祈りの一日に


矢谷左知子 ”aka” xusa

*写真は牧野富太郎博士ⓒ高知県立牧野植物園
  1. 2012/01/01(日) 23:51:47|
  2. 未分類