草虫こよみ xusa musi coyomi

:::::::::::::::くさ むし そら うみ つち ひかり

もうお手上げだ。。。とばかりいってられない

まるで一晩中鳴り響いた雷。
地球の火花、放電まつり。

巨大なシステムも小さな技術の積み重ねで、人がはじめたにもかかわらず、ネットワークのからみあいは人智をこえるかのよう。
昨日はひさしぶりに、反原発まるだしの東京新聞を(家人が買ってきて)読んだせいか、こんがらがりの重篤さに息苦しく、どうしようもないので、いったん寝たのだけど、雷が鳴るから、夏中の懸案であった台所のレイアウト変更を真剣に検討した。
具体的に計測して、平面ミニチュアをつくったの。
なんというお気楽。
でも、長らく使っている台所の室内気候すらわたしはよく知らず、電気やガスや水があたりまえにくるのを、あんなことがあったのに、やっぱり平然と漫然と享受しているだけ。というのからは脱出したいのだ。

冷蔵庫の裏の熱を使えないものか、とか、作業がしやすい配置、ゴミのこと、花木への排水利用がうまくいくようにとか、趣味の違う家人とのスムーズな暮らしとか、そんなことを考えて、既存の家具だけで、できれば自力でなんとかしようと、うなってみる。
これぞという決定打が出ず、吐きそうに気持ち悪くなってきた。

こんな小さな個人のことなのに、(わたしにレイアウトセンスがないことはおいておくにしても)、システムの再生というのはむずかしい。ましてあんな巨大な原子力発電所の事故の処理なんて。。。。

ああ、お手上げだ。

そんなときに、前にインドでお世話になったナニの画像が、千秋さんから送られてきた。
彼女はこのたったひとつの鎌でなんでもやるのだ。
完熟ゴーヤは細かくして鳥の餌にする、もちろんこの鎌で。

何ゴーヤ

やっぱりシンプルにすることしかない。(シンプルってどういうことかを探ること)

でも私たちのこの肉体の進化がどんどん複雑化して大きくなっていってきたのだから、
その逆の力ははたらかせがたい。わたしたちはどうしても多くを持ちたがる。

シンプルというのがはたらくのは、めんどくさい、というときだけ。
でもこのめんどう、という気持ちも実は働かせ方次第なんだろうな。
シンプルにするために、何かを捨てるのも、その捨て先がどうなるか、想像する。
めんどうをなくすには、めんどうなことをみつめる。
だって、めんどうにしたのは自分なんだから。

この世界をつくっているのはわたしたち。
だから、やっぱりひとつひとつできるところからやっていく。

今日も気づきがたくさんある。

musi

ゴーヤパン
おまけのゴーヤジャムロールパン。グリーンカーテン、この夏もみんなつくっているね。
  1. 2013/09/05(木) 10:38:36|
  2. 自然環境