草虫こよみ xusa musi coyomi

:::::::::::::::くさ むし そら うみ つち ひかり

草と海

草も
海も
すぐそばにあってくれて、
いつでもコンタクトできるのに
私にとってのそれぞれの旬は実はとても短く、
しかも同時季でもあるということに気がつきました。

この何年も、夏は海を優先していたのですが、
草にフォーカスすると実は旬が同じ。
これはなやましいことです。

海もお盆前のほうがクラゲも少なく、なにか清らか。
そして、朝早い方がだんぜん気持ちよい。

草もそれは同じで、お盆過ぎるともうトウ立ちして繊維も固くなります。
そしてやっぱり朝一番に取りたい。



草と海は私にとって
とても大事な要素です。

海に身を浸すことのかけがえのなさを知ってからは
夏はできるだけ海に潜っています。
泳ぐというよりは、
浮かんでいたり、海底を歩いてみたり、でんぐり返ってみたり。

身も心もすっかり新鮮になって、
からっぽに抜けて・・

海のそばに20数年住んでいたのに、
海と深く交わり始めたのは、この10年。
草の布を織ることを休止してからです。

作家時代は、夏はひたすらの草刈りと糸つくり。
ひと夏で一年分の糸の収穫をするので、くる日もくる日も草刈りでした。
炎天下、過酷な体力仕事、よくやってました。

でもそれは他に例えようのない、素晴らしい抜け感
自然との深いコンタクト
身体ぜんぶを使った労働によって、
草の奥に広がる、その向こうの世界をかいま見る・・

それは10年前に突然休止されました。
母の他界によって、チャンネルが変わったかのように
それに向き合えなくなってしまいました。

そして私は海に出逢いました。

潜ってみると、
そこには「草の向こう」と同じものがある、
そう感じました。

地上とは質の違う、
そして圧倒的にダイナミック、
でもおなじもの。

それからは夏は草より海・・



今朝、久しぶりに苧麻刈りに出かけました。

野の苧麻は常に刈られる存在、
ねらっていた近所の駐車場の隅に群生していた苧麻は
夏のはじめにあっという間に刈られてなくなってしまったのですが、
それから一ヶ月、
うまい具合に2番芽が伸び盛ってくれました。

背丈ほどある、重い草の茎を何十kg、背負って山道を歩いてもどりました。
真夏の汗だくの労働
でもこの草はこれから糸になってくれるのです。
深いところから、フツフツと湧くような歓びがあります。

私にとっては海も同じようなよろこびの源泉です。

朝 
草を刈り
夕 
海に入る

明日
草をおしえてくれ、
海に向かわせてくれた
母の10回目の命日

今年も暑い夏です。

xusa

  1. 2015/08/05(水) 13:32:03|
  2. 徒然